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『悪は存在しない』は「悪人正機説」映画か?

『悪は存在しない』(2023年/日本/106分)【監督】濱口竜介 【キャスト】大美賀均,西川玲,小坂竜士,渋谷采郁,菊池葉月,三浦博之,鳥井雄人,山村崇子,長尾卓磨,宮田佳典,田村泰二郎


第80回ヴェネチア国際映画祭・銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞したことで、カンヌ映画祭、ベルリン映画祭のいわゆる3大映画祭のグランドスラムを果たし、アカデミー賞を入れると黒澤明以来の快挙を成し遂げた濱口竜介。本作『悪は存在しない』は、3年弱の短期間での活躍に世界で最も注目される監督の一人なった濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』以降の長編映画最新作品であり、現在、世界中の映画祭、映画館で上映され、世界の映画業界を席巻し続けている。

海外からの映評
濱口監督から観客に対する見事な挑戦。ほとんどの映画が「答え」ばかりに終始する一方で、「問い」を投げかける映画監督が少なくともひとり、ここにいる。
―THE PLAYLIST

この年、もっとも静かに心を揺さぶる映画
―Vague Visages

きっかけは、石橋から濱口への映像制作のオファーだった。『ドライブ・マイ・カー』(21)で意気投合したふたりは試行錯誤のやりとりをかさね、濱口は「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことを決断。そうして石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と共に誕生したのが、長編映画『悪は存在しない』である。自由に、まるでセッションのように作られた本作。濱口が「初めての経験だった」と語る映画と音楽の旅は、やがて本人たちの想像をも超えた景色へとたどり着いた。
主演に、当初はスタッフとして参加していた大美賀均を抜擢。新人ながら鮮烈な印象を残す西川玲、物語のキーパーソンとして重要な役割を果たす人物に小坂竜士と渋谷采郁らが脇を固める。
穏やかな世界から息をのむクライマックスまでの没入感。途方もない余韻に包まれ、観る者誰もが無関係でいられなくなる魔法のような傑作が誕生した。

「悪は存在しない」というタイトルから親鸞の「悪人正機説」を連想した映画だった。それは自然描写を和歌のように感じたのであった。木々の梢や鹿の鳴き声や月の姿。それらはまさに西行の和歌であるような(ちょうど西行に取り憑かれていたからかもしれない)。吉本隆明『西行論』である。

それは西行が源信(恵心僧都)『往生要集(地獄絵図)』から法然・親鸞の浄土真宗の間にいた僧だということ。つまり日本社会の過渡期であり、この後に実朝の「ほろび」の歌が出てくるのである。

映像が和歌的な世界観であるというのは、ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』のミニマルな世界観と似ているが、それを道徳という小さな共同体の世界ではなく自然という大きな共同体の滅びの姿として描いたのかなと思うのである。

まったく見事としか言いようがないのだ。鹿を撃つ銃声とか、見えない部分の映像かな。鹿の声とか(俳句の季語である)。『ディア・ハンター』の裏側の世界なんだと思うが鹿が人間を襲わないと言い張る主人公が、最後は人間を襲ってしまう野生というものなのかとも思った。人間の欲望で作られていく映画なのだが、逆説的に「悪人正機説」になっていく世界観なのかと思った。

グランピング」というのは最近のトレンドなのか以前観た『ほつれる』のなかでも出てきたおしゃれなキャンプという田舎の都会化のようなパッケージキャンプなのだが、そのトレンドを芸能事務所の社長がコロナ対策として新規事業化させていく欲望社会の構図なのだが、そのほころびがこの映画で表現される。

例えばドラマ『北の国から』で倉本聰が北海道富良野を拠点に新規事業をする。あの時代はイケイケ社会だったたが今は様々な地域住民との衝突がある。最初はそんな映画なのかと思っていた。

濱口監督が倉本聰のような俳優道場のような映画を撮っていた。『ハッピーアワー』はこの監督の優れた映画手法がメタ的に発揮された問題映画だとは思う。それは映画が新興宗教のように感じられる映画でそれが路線変更だったのか、村上春樹とか売れ線脚本映画になっていくのだが、この監督の本質はこの映画あたりにあるのではないかと思う。

つまりそれは問題提起映画であり、それはヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』のアンチテーゼの世界観。個人主義ではいられない共同体問題としての映画なのかなと思う。


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