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春の日の夕暮

春の日の夕暮    中原中也

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏やかです
アンダースローさせた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)!案山子はないか──あるまい
馬嘶くか──嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです  

(大岡昇平編『中原中也詩集』)

「トタンがセンベイ食べて」の出だしが印象的。普通トタンの音は騒がしいものなのに、センベイ食べているほどのリズムは穏やか感じなのか。ポリポリという感じでバリバリではない。

「アンダースローさせた灰」がは謎めいている。焚き火をやっていて寒さに蒼ざめているのだろうか?案山子はないかというのは、春の訪れで案山子などを燃やす祭りを連想させる。馬の嘶きは、春の訪れ。

月は魔女を連想させる。フェリーニの映画で魔女を燃やす春の火祭りのシーンがあった。ヌメランとする表情はクールな感じ。太陽神による収穫祭。

伽藍は教会の鐘だろうか?フェリーニの映画を観た訳では無いだろうがそういう異国情緒的な情景と「瓦が一枚はぐれた」という自身の境遇なのか。「静脈管の中へ」が痛々しい感じだ。この時代リスカは流行っていなかっただろうが。

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