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ニカラグアのマジックリアリズム映画『マリア怒りの娘』

『マリア 怒りの娘』(022年/ニカラグア・メキシコ・蘭・独・仏・ノルウェー・スペイン/カラー/シネスコ/1h31/DCP)監督:監督:ローラ・バウマイスター 出演:出演:アラ・アレハンドラ・メダル、バージニア・セビリア、カルロス・グティエレス、ノエ・エルナンデス、ダイアナ・セダノ

ゴミ集積場に暮らす母と娘 中米ニカラグアから誕生した秀作
11歳のマリアは、ニカラグア最大のゴミ集積場で、母とともにゴミの収集で生計を立てていた。ある時、マリアが言いつけを守らなかったことで、窮地に立たされた母は姿を消してしまう。マリアは預けられた作業場で母の帰りを待つが…。女性監督の清新なデビュー作。

ニカラグアというアメリカの繁栄の裏側の中南米の貧困。ゴミ集積場に棲む少女の寓話(マジック・リアリズムの映画というレビューがあったがそうかもしれない)。少女はゴミを漁りながら暮らしている。かつては自然の中に生活出来るものがあった野生という姿。ゴミの中には有害物質も含まれており、それを食べた子犬たちが死ぬ。母親は男から犬のブリーダーを頼まれたのか、その子犬を売って生活の糧にするつもりが、すべて死んでしまったのだ。絶望の母。娘のマリアがゴミ山から拾った食べ物が原因だった。

犬の化身となるマリアは何を象徴しているのだろう。犬のような従属的な生活かもしれないが、その中でマリアは野生になろうとしていた。母はマリアを置き去りにして危ない仕事をやらざる得ない。ゴミ集積場でのデモと警察の闘争。ゴミの中でしか生きられないものがいる一方でそれを排除しなければならない構図なのか。そこにニカラグアの貧困の現実があるようである。

母親は犬を殺した代償を自らの身体で償うしかない現状。そうしたレイプがまかり通る現実の中でマリアは生きなければならなかった。猫人間になる母の夢は何を象徴していたのだろうか(ねこ娘のようでもあり、案外水木しげると近い世界なのかもしれない)。母の死が猫の姿でマリアに伝えようとしたものは何か(輪廻転生か)。マリアの怒りを口の中に棲む鳥を追い出す支援者は何を伝えようとしたのだろうか?寓話的動物の詩的イメージ(ニカラグアの神話)が、たんなる告発映画から祈りの姿としてイメージされる映像詩的な映画。ニカラグアで映画が作られること自体が少なく、他の国々の支援によって出来た映画なのだろう。それだけの力量がこの監督にはあるようだ。


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