偉大なる池田大作先生猊下の死の報道からジャニー喜多川を思い出す

こないだ大作先生が遷化したのである。
あたいは鳥肌実くらいにはガッカイを愛している、熱心な原始仏教信者なので大作先生のことを大変色々良く調べてたのです。

まあ遷化してからというもの大作先生はえらい!ガッカイを発展させた!日中友好にも尽力!周恩来にも胡錦涛にもあった!平和の守り神!みたいな報道をNHKまでやっとるわけである。

どーもこれ既視感あるなとおもったらジャニー喜多川のときとおんなじである。

あいつも大概ユーホテルに来なよとかホモされるとかさんざんぱらやってたのである。

ダイサク先生ときたらそれどころじゃない。

  1. 広宣流布で心が弱ってる病人家族勧誘

  2. 国立戒壇論争

  3. 大阪事件の選挙買収

  4. 日蓮正宗とのバトル

  5. 共産党盗聴

  6. 言論出版妨害事件

  7. 替え玉

  8. 財務、本尊

  9. etc

列挙するだけで飽きてきた。

こういうのは全てなかったことになっとる。

エル・カンターレが死んだときの報道を思い出すと天地の差である。

ああ、やっぱり火の鳥の言う通り宗教は権力と結びつかんとあかんなあ。政権与党政権与党。
社会の通念に従うよな宗教でないとなあ。現世利益現世利益。とかおもう。

いやほんとにマスコミはジャニー喜多川のことを欠片も反省してないわけである。

ほんとに聖人みたいな報道しとるがほんまにそれでええんか?やっぱりあの反省は口だけとしか言いようがない。

この国のジャーナリズムが報道の自由ランキングとか抜かしてるがただ自分たちが臆病で強きに従い弱きを叩くだけのゴミでしかないことを表している。

江川紹子も羽生結弦の結婚離婚みたいな話に報道の自由を持ち出してくる。

別の記事に書いたがこういうことをやってからジャーナリズムがどうとか言ってほしいものである。

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