今日も今日とて体験の貧困を親の因果で味合わせる

ハードなフルタイムで働いているママ友が「水泳と自転車の習得はタイミングを逃してはいけなかった」と後悔していた。私たちの子ども時代はスイミングに通わずとも、学校の水泳教室でなんとか泳げるようになれた。今は学校で年間5回泳げばいい方なのでスイミングに通っていない子は泳げない。自転車は都内だと練習の場所に困る。(特にうちの地域は坂地。)普段車で全部用が足りてしまうのに、自転車を乗る機会をわざわざ作り出さないといけないので時間が取られる。絶対習得しなければ生きていけないものではないけど、このままだと楽しみや行動範囲を狭めてしまうから焦っていると話していた

うちはあれだな、自治体の水泳教室10回と、土日の俺レッスン水泳でなんとかした。

民営スイミングスクール高いから、安い公営施設で済ませた。
いま犬かきと息継、背泳ぎをマスターした。
とりあえず適当に教えていくつもりだ。

自転車は会社の先輩からもらったお下がりチャリをつかい、俺がつきっきりでやった。
泣き叫ぶ我が子の背中を思いっきり押して、ベクトルを体感させたりしてた。
遠くを見てればなんとかなるといいながら。

泣きわめくし、こけるが、なんとかかんとか小学校に上る前に漕げるようになった。

うちは貧困なので、何から何まで手弁当でやっていっている。

トータルコストは30000はかかってないと思う。

貧困なりにやれることはあると思うよほんと。

実際今日も貧困家庭なので、川べりを散歩して河原で石投げしたり、鯉に石を投げて餌と錯覚させて呼び寄せてみたり、猫を散歩させてる人を見つけて撫でさせてもろたり。
ゴールデンウィークで誰もいない公園の遊具を独り占めしてアスレチックしてみたり、同じマンションの子と虫とりやら自転車乗りあったりしてたな。

こういう体験の貧困が我が子供の未来の貧困につながるんやろうな。昨今のNPO曰く。なんかピンとこないけど。

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