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14 木造モルタル二階建て

 初めて一人暮らしを始めた時、住む場所は駅名で決めた。「寺」の字が入っていたので、きっと静かなところだろうと。アパートは、最初に見つけた不動産屋で、一軒目に見た物件にしようと思っていた。こういうことは巡り合わせ、時の運だ。
 改札を抜けて階段を降りると左右に道路が通って、正面に細い路地が伸びていた。その路地を進むと右手に更に細い路地があって、左側に見過ごしそうな狭くて古い不動産屋。物件の貼り紙を見ると、6畳一間18,000円の文字。これだ!紹介を受けて下見に向かうと、閑静な住宅街の、「さすがにこのアパートは」と尻込みしそうな建物の数軒先にそのアパートがあった。 
 木造モルタルの二階建てで部屋数は16程、その内の2部屋分を管理人さん家族が使っていた。ドアを開けると狭い三和土があり、正面にドア幅分の水道とガス台。たったの一間だったが、引っ越し荷物と言えば布団袋一つの私はその6畳を持て余し、4畳半にすればよかったかと妙な後悔をしていた。
 部屋は1階の南側で、陽当たりはよかった。(それだけは確認して借りたのだ。)窓の外には、管理人さんが使っている物置兼洗濯小屋のようなものがあり、濯ぎが終わってからも流れ続ける水道の水音がしばしば私の小さな?胸を悩ませた。それは、結果的に水道代の負担として私の財布にも影響を及ぼしていたからだ。その向こうはすぐ前の家で、その以外の面は、壁や天井を挟んで別の部屋に接していた。田舎の、内も外も広さだけはたっぷりある家に育った私は、隣室の電話のベルが聞こえるような環境に遠慮して、空っぽの部屋に持ち込んだギタ-を小さく指で爪弾いていた。
 それは、ぼぉ~っと霞むような穏やかな春の夕暮れだった。その日も窓際でギタ-を爪弾いていた私の耳に、突然全力のギタ-音が飛び込んできた。アコ-スティックの弦をピックで力強く弾くその音は、イントロを終えると、やがてこれも全力の歌声へと繋がっていった。私は耳を疑った。こんなのアリ?そんな私の疑問を吹き飛ばすかのように歌は続いている。私は、保存食が入れてある棚をゴソゴソと探り、母が送ってくれたパイナップルの缶詰を抱えると、少しの躊躇いと勇気をもって隣室のドアを叩いた。
 年期の入ったその部屋には、既にカ-テンが引かれ蛍光灯が灯されていた。(後から分かったことだが、この部屋のカ-テンはいつも閉めっぱなしだった。)二段ベッドと電気炬燵とオ-ディオとカラ-ボックスで床の大半が覆われ、残った僅かな隙間は座布団や雑誌・灰皿やGパンなどが占領していた。天井回りには、セピア色というよりはヤニ色に染まったミュ-ジシャンのパネルが何枚も掲げられて、音楽の嗜好を物語っていた。その内容が理解できた私は、3分後には自分のギタ-をその部屋に持ち込んでいた。
 かくして、木造モルタル二階建てを舞台とした、K兄弟との怖いもの無し生活の幕が切って落とされたというわけである。

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