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#14' 田植えの情景('23.5.14)

 藤の花が紫の花びらを雨に散らして、代わりにニセアカシアの白い房が道沿いに広がり始めた。散歩をしていたら早朝から田植えをしている方がいて、乗用型8条田植え機の進むスピードの速さに目を見張った。田植え機が出始めた頃の歩行型と比べると隔世の感があったからだ。
 稲作農家だった我が家に初めて田植え機がやってきたのは、確か私が小学校の高学年になった'70年頃だった。歩行型の2条植えで、機械用の苗を栽培する箱も当初はプラスチックではなく木製だった。その箱に専用の機械で土を敷き、種籾を蒔いて更にその上に土を被せる。それ用の土の準備から、機械を通すスピードまで試行錯誤しながらの作業だった。田植え機を使った最初の田植えでは、なかなか機械がまっすぐ進まず、植え終わった後の曲線を眺めては父が照れ隠しのように首をひねっていたっけ。
 田植え機を使った田植えの作業は、まず苗運び。箱を並べて育てていたビニールハウスから、苗箱を軽トラックに積んだラックに収める。田んぼに着いたら、苗を機械が行き来する手前と奥に運ぶ。箱には把手もなくそこそこ重いので握力が要る。運んだ苗は箱に根を張っているので、事前に畔でトントンと叩いて剥がしておく。後はその苗をトレイに載せて機械に渡すだけで、子供の仕事は主に空になった苗箱を水路で洗うことだった。他には、田植え機がUターンした後に荒れた土面をトンボのような道具で平らにする役目があって、これは機械が戻ってくるまで時間があるので楽な仕事だった。
 田植え機が来る前は、当然ながら手植えだった。その頃は家の前の田んぼの一角に苗代(なわしろ)というのを作って、そこで苗を育てた。田植えの時にその苗を抜いて藁で束ねるのだが、その作業をするときに、肥料用のビニール袋にもみ殻を詰めたものを椅子替わりにするのが、田んぼの水面をスイスイ滑って楽しそうだった。田んぼには、大きな熊手みたいなもので線を引いて、それに沿って苗を植えていく。ピークの頃には農家のお母さん方が大勢手伝いに来てくれる日があって、同級生のお母さんもいたりしてちょっと恥ずかしく、みんなが濡れ縁に並んでお昼を食べたりしているのは遠足みたいだった。
 田植えが終わった日はサナブリと言って(早苗饗と書くらしい)、いつもよりちょっとご馳走だった。実家の辺りは5月の連休の頃が田植えの時期だったから、休みにどこかに出掛けた記憶とかはなくて、サナブリがささやかな楽しみだった。父が寛いで美味しそうにお酒を飲んでいたなあ。日中は陽射しを強く感じたのに、夕方、早苗がちょこんと頭を出した田んぼの水面を渡る風は意外と冷たかったことを思い出す。田植え機はその後4条植えの乗用方になり更に6条植えになって、父が引退し亡くなった今では、近所の方にお願いしてお米を作ってもらっている。

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