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時の流れ

 連休も終わって、気付けばあっという間に5月も半ば、冬眠していた頃が懐かしい。とは言え、雉、鶯の後にカッコーまで鳴き出しては流石に寝ている訳にもいかず、カメラをぶら下げてぼちぼちと畦道を彷徨い始める。元々花の写真がメインなので、冬枯れで対象の少ないことが冬眠の一つのきっかけでもあったのだが、2年半ほど毎朝写真をアップしていたら、自分の写真に自分がワクワクしなくなってしまった。勿論、私レベルの素人が何を生意気なという話で、同じ対象でもいくらでも撮りようはあるはずなのだが、そこが素人の悲しさ、浅はかさ。歩く道が変われば気分も変わるかと、久しぶりに昔の散歩道に向かってみた。何しろ、犬も歩かねば棒にも当たれずだ。
 そのコースは、多分10年以上前に毎朝歩いていた道なのだが、その変わり様は久しぶりに会った知人の子供のようだった。使われていなかった田んぼが宅地になって、新築の家々に新しい生活が息づいている。一方で、宅地の中に更地になった一角があって、そこにどんな家があったのか思い出すことも出来ない。震災で避難してきた方がその一部を借りていた畑は健在だったけれど、多分その方はもう別の場所で生活を再建されていることだろう。畑の面倒をみていたおばあさんは元気にしているだろうか?道路を渡ったところにあった張地がボロボロの鉄骨テントは跡形もなく消え去って、よく野鳥が休んでいた梅林にも新しい家と芝生の庭。その先に目をやると、朝陽に透けて揺れるヒナゲシの一群。こんなところに?と不思議に眺めた一瞬の後、そこが毎朝年配のご夫婦が丁寧に手入れしていた畑だったことに思い至った。
 時の流れを止めることは出来ない。最近、車の中でキャロル・キングが今世紀になってから(って、もう既に20年以上経っているのだが)発表したアルバムを聴いている。音楽に詳しい友人のお薦めだ。恥ずかしながら、私のキャロル・キングはタペストリーで停まっていた。今でも時々聴く文句なしの名盤だが、それから30年経ってこんなアルバムを出していたんだなあ。時間の経過分、ちょっと余裕を感じるし音も豪華になっているけど、紛れもないキャロル・キングの歌声。声って、つくづく唯一無二の天性の楽器だと思う。久しぶりの散歩道でちょっと感傷的な気分になったけれど、30年という時間が彼女をしてこのアルバムを作らしめたことを考えると、時の流れはあながち切ないばかりでもないのかもしれない。
 

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