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中間報告

 連休の前半が終わった。私は基本ずっとサービス業だったので、必ずしも連休=休みという感覚はない。が、年齢に伴う戦力低下で、最近は少し楽をさせてもらっている。この連休前半は、来客の準備をし、東京から帰省した甥孫の三輪車を組み立て、隣の敷地にはみ出していたマサキの剪定をした。夕方、「5月のミル」のサントラをかけて、窓の外の新緑を眺めながらジントニックを飲んでいたら、しみじみと気持ち良かった。考えてみると、これまでは連休といってもポツポツとある休みの中で帰省をしたり、逆に帰省する親戚を迎えたりで、およそ自分の休みというものは無かった。そんなふうにバタバタとやっている内が幸せということもあるだろうけど、程よいバランスの中でゆっくりする時間がある連休というのもいいものだなあと。
 休み中、グループラインにもいろいろな連休レポートが入ってくる。数年歳上で退職組が多いグループは畑仕事で盛り上がっていた。この春から野菜作りを始めた人に、先輩たちがいろいろとアドバイス。収穫祭?が楽しみだ。別の友人たちからは立派なテナガエビの写真。時々連れ立っては釣りに行っているらしい。釣果は水槽で飼ったり、街中の中華屋さんでビールのつまみにしてもらったり。水面に反射する初夏の陽ざしと長閑な雰囲気が伝わってくる。
 呑気な報告ばかりで恐縮だが、私たちが連休を楽しめるのは、その間も社会のインフラやサービスを支えて下さっている方々のお陰だ。時期はずれるかもしれないけど、そうした皆さんにも是非ゆっくりと休んで頂きたい。お疲れの方がいらしたら(もし本を読む余裕があれば)、確か星野道夫さんの文章に、東京の電車の中で北海道の森を人知れず歩む熊のことを想うというようなのがあったかと思う。自分が体感している時間と同時に他の場所で流れている時間を想像することは、たぶん多少の癒しや救いになるはずだ。星野さんの文章を読んで、私は余裕のないときにどこかの海をゆったりと泳ぐクジラをイメージするようになった。世界にも一人一人の中にも様々な時間が流れている。私たちは時々それを覗くことはあっても、自分に流れている時間はあくまで一つだ。でも、一つではあるけれど、他の流れもあるという事実、その事実を想うことで、私たちはちょっとだけ自分の流れにゆとりを持たせることが出来るような気がするのだがどうだろう?
 ともあれ、お仕事の方もお休みの方もどうぞよい連休後半を!


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