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#08' 孤独の3Step('23.4.21)

 中学まで吹奏楽部でフルートを吹いていた次女は、高校に入ると帰宅部になってロックに傾倒していった。当時聴いていたラジオ番組のイベントが三浦半島であるから連れて行ってほしいと頼まれ、高速で片道4時間の距離を、娘とその友達を乗せて日帰りした。すっかり日が暮れた帰り道、企画の名誉校長が清志郎だったこともあって娘が尋ねた。「お父さんはどうして清志郎が好きになったの?」う~ん、突然の質問に少し考えてから私は答えた。「二十歳くらいのときに清志郎の歌を聴いて、寂しいって言っちゃっていいんだ!って思えたら、楽になって救われた気がしたんだよ」。多分too muchだったその答えに、娘はただふうんと頷いただけだった。
 俗に言う自我の目覚めというやつがやってきたのは中学の頃で、夜中に頭の中に浮かんでくる言葉たちが煩くてノートを開いた。1ページ目には「人と付き合うことが一番楽しくて辛いことだ」と書きつけた。ほぼ時を同じくして得た気付きが「人は皆一人である」というものだった。当たり前じゃんと思うかもしれないが、当時の私には万有引力と並ぶくらい新鮮な発見で、「分かっちゃったもんね!え?ひょっとしてまだ知らないの?」っていう感じのものだった。だからその後しばらくは、寂しいことがあっても「仕方ないじゃん、みんな一人なんだから」で押し通した。
 転機が訪れたのは二十歳の時、夏の一人旅は楽しいだけだったのに、冬に日本海沿いを旅していたら、(季節のせいもあったかもしれないけど)「一人なのは分かってるけど、でもそれってやっぱり寂しいんじゃない?」ってことになって身動きが取れなくなった。「みんな一人だ」の発見が第一段階だとすると、「でも一人は寂しい」の肯定が第二段階といったところだ。
 孤独に白旗を挙げてみたものの、それを周りに表明するのは恥ずかしくて憚られる、そんな時期に出会ったのが清志郎だった。当時RCサクセションはプリーズからラプソディへと上り調子、そこから遡って初期・ハードフォーク時代へと聴き込んでいく中で、寂しさだけでなく、それまで自分が言ってはいけないと勝手に抑えていたものが次々に解き放たれていくのを感じた。弱さを見せてもいい、弱さを見せれることが強さに繋がる、その気付きが自分の孤独に関する認識の第三段階だったような気がする。
 まさか父の答えにこんな経緯があろうとは、よもや娘は思いもしなかっただろう。言った本人が、今こうして辿ってみて驚いたくらいだ。あの時のことを娘は覚えているだろうか?機会があったらまた話してみたいものだ。いや、やっぱり恥かしいか…。

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