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(小説)八月の少年(二十六)

(二十六)街灯り駅
 桜並木が途絶え再び列車は殺風景な地上を走り続けた。やがて遠くに灯りが見えた。
「次は街灯り駅。お降り遅れのないよう、お気を付け願います」
 街灯り駅?ではあれは駅の灯りか?しばらくすると駅に到着した。列車はホームへと静かに停車した。駅のまわりはまっ暗で駅の灯りだけが闇の中に浮かんでいた。静かだった。まるで時が止まったかのような静けさ。ホームにはベンチがひとつ置かれていたが人影などなく、時より風が吹いて草の葉を揺らすだけだった。サヤサヤ、サヤサヤ、波音のように。小波、波。その駅はまるで暗黒の海に浮かぶ小島のように思えた。今にも暗黒の波に飲み込まれてしまいそうな。
 わたしはホームに降りる気になれず列車のシートに座ったままうとうとし始めた。すると物音がひとつ聴こえた。ぴくりと目を覚ましわたしはあたりを見回した。ん?闇の彼方に小さな灯りが見えた。何の灯りだろう?それは段々と大きくなってこっちへ近付いて来る。ゆっくり、ゆっくりと。何だ?人か?
 それは男だった。男がひとり灯りを手にして列車へと近付いて来た。何者だろう?男は軍服を着ていた。男のブーツの音が重々しくホームに響いた。その音はわたしの車窓の前でぴたりと止まった。


「大統領」
 男はわたしを見た。何?また大統領か。
「説明に参りました」
「説明?」
 わたしは男へと口を開いた。
「例の計画の」
 男は答えた。例の計画?例の?マンハッタン計画のことか?
 そうか。けれど、もはやわたしにはおおよその見当はついていた。マンハッタン計画。マンハッタン計画とは?
「そうだったね。よろしく頼むよ」
 大統領と呼ばれたわたしは男に答えた。例によってわたしはすべてを悟った。わたしは新たに就任したばかりの大統領で、男は陸軍長官Sだった。
 大統領と呼ばれたわたしはホームに降り男とふたりでベンチに座った。サヤサヤ、サヤサヤ、草の音だけが聴こえていた。男の説明を聴きながらなぜか大統領と呼ばれたわたしは眠気を覚えた。
「大統領!」
 男はうとうとしてしまった大統領と呼ばれたわたしを大きな声で呼んだ。
「おお、すまない」
「大丈夫ですか?」
「ああ、何しろ突然の大統領就任でね。激務が続いて」
「無理もありません」
 おや、ふと見ると男の軍服の肩に桜の花びらが一枚留まっていた。何処から飛んできたのか、花びらはにこにこ笑っているように思えた。その場所が気に入ったのかね?その男の軍服の肩が?わたしは花びらに話しかけたくなった。
「それで?」
 大統領と呼ばれたわたしは突然男に問いかけた。
「それで?」
 驚いた男は大統領と呼ばれたわたしを見た。
「それでその新型爆弾で、桜も死ぬのかね?草も?風も?街の灯りも?」
「え?」
 大統領と呼ばれたわたしの意外な質問に男は困惑したように大統領と呼ばれたわたしを見返した。何を愚かなことを聴いているのだ、わたしは。こんなことを聴いて何になる。
「いや、いいのだ。気にせんでくれ」
 諦めたように大統領と呼ばれたわたしは笑ってごまかした。

「これで説明は終わりです」
「そうか、有り難う」
 男はベンチから立ち上がった。男が歩き出す。サヤサヤ、サヤサヤ、草の音に混じって男の重々しいブーツの音が再びホームに響いた。
「ああ、そうだ」
 大統領と呼ばれたわたしは突然声を上げた。男は驚いて振り返った。その瞬間彼の肩に留まっていた桜の花びらがひらりと落ちて風に舞った。
「何でしょうか?」
「大事なことを忘れていた」
 桜の花びらの行方を目で追いながら大統領と呼ばれたわたしは尋ねた。
「それは、いつ完成するのかね?」
 突然風が止み草の音が途絶えた。風を失った桜の花びらはまっすぐにホームへと落ちた。
「4カ月」
「なに?」
「ええ、あと4カ月以内には完成いたします」
 なに、そうか。
「有り難う。呼び止めてすまなかったね」
 男の足音が遠ざかりやがてあたりは闇と静寂に帰った。

 ベンチから立ち上がった。ホームに落ちた桜の花びらを拾おうとしてわたしは花びらへと歩いた。あと4カ月。花びらをつかもうとしてしゃがみ込み、今は春、あと4カ月ならば、何?花びらをつかもうと花びらに手を伸ばした瞬間。4月、5月、6月、7月、8月?突然風が吹いて花びらはわたしの指先から遠ざかった。おお、待ってくれ。
 何、8月!
 そのまましばらくわたしはホームにしゃがみ込んでいた。とうとうわたしは桜の花びらの行方を見失ってしまったらしい。
「そろそろ発車の時刻でございます」
 発車のベルが鳴った。

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