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独身のまま50を超えて生きるのがラクになりました。

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高校生の時の性教育謎授業

私が高校生の時なので、かなり昔…、まだ元号が「昭和」であった。     

保健体育で「性教育」の時間があった。「コンドームの使い方」なども組み込まれており、男女一緒に受けていて、教室はかなーーーり異様な空気に包まれていた。

みんなシャイ…なのかどうかわからないけど、とにかくしーーーーんと静まり返っていて、寝たふりをしている生徒もいた。

からかうほどガキではないし、真剣に耳を傾けるのも恥ずかしいお年頃。
(みんなとまどっていたのだと思う)
断片的にしか覚えていないけど、その授業はまったくもってお粗末なものだったように感じる。

そしてその授業の中で、保健体育の教師(男)は、私たちに問いかけた。

「みんなは、なんで結婚するんや?」と。

多分、「結婚とは」と言うことを高校生たちに考えてもらう…という意図立ったのだろうけど、今考えると、すごく変だし、失礼で乱暴な質問だと思う。

だって、別に、「私たち、将来、結婚したいでーす!」と、訴えたわけではないし。
あらかじめ「将来結婚したいやつは手をあげろ」と、聞かれたわけでもない。 

それなのに、「みんな、大人になったら結婚するよね?したいよね?」という前提で強制的に執り行われ、まったくもって腑に落ちなかった。

しかも、その教師は生徒に意見を求め、端からあてていったのだ。
一番にあてられた女子は、立たされ「なんで結婚するんや」という余計なお世話な質問に答えた。

「幸せになりたいからです」と。

私は「ほおおおー、なるほど」と思った。
別に共感したわけではなく、ちゃんと自分の意見を素直に答える女子生徒にちょっと感動した。
しかし教師は「そうか、ふーん」という冷めた態度。多分この教師は結婚しても幸せにはなっていなかったのだろう。

さらに、後ろの女子をあてた。2人目の女子は「同じです」と答えた。教師は「ちゃんと自分で答えろ」と怒った。
その女子は「あ、幸せになりたいからです」と、早口で感情を込めずに答えた。

そして…その後ろの番がやってきた。

私だ。

私も立って自分の意見を言うように促された。

「私、結婚したいだなんて言ってませんけど?」
と、今なら言える。

だけど、当時の私はそう答えることはできなかった。

私たちの親の世代は、結婚することが当たり前だったし、実際ほとんどの男女が結婚できていた。

だから、大人になったらうまいこと適当な相手を見つけて誰かと夫婦にならねばならない…と、思い込んでいた。

それは考えただけでも恐怖だった。
だいたい、私なんかがうまいこと相手を見つけることができるのかどうか不安だったし、運よく見つかったとしても、全然タイプではなかもしれないし、浮気されるかもしれないし、私のことを愛してくれないかもしれない。

恐ろしい。

自分の幸せを私以外の人間の手に委ねるなんて…

一瞬のあいだに、私は未来の自分を想像した。

適齢期(30歳手前)になっても、きっと相手は見つからないだろう。
そうすると、きっと、親は黙ってはいない。
「いいトシなんやから、誰かいい人おらんの?」と心配そうな親の顔を思い浮かべた。しまいには「ええかげんに誰とでもええから結婚しなさい!」と怒りだすんじゃなかろうか。
だから、私は答えた。

「親が、しなさいって言うとおもうから…」と。

相変わらず教室はしーーーーんとしていたし、教師は「はぁ?」という顔をした。「親がしろと言うからするんか」と聞かれ、
「はぁ、多分…」と曖昧に返事をしておいた。
そのあとのことは忘れた。

でも、その出来事、教師の質問、他の女子の答え、私の答え、教室の反応は
今でもはっきりと覚えている。

そして、とても悔しいと思う。
正しい答えなんて無いだろうし、そもそも質問が間違っている。
教師は「性教育の授業」と銘打って、「性」イコール「結婚」というふうに結びつけたかったんだろうけど、それらは別個のものだ。

多様性という言葉は皆無だった時代。
「みんな同じ」が求められた。
「普通」から、外れることも、抜きん出ることも許されなかった。
「自分」を消さなければならなかった。

今、思うと、「性」のことや「結婚」のことを高校生に教えたいのであれば、「世の中には結婚という制度があり、いろいろ得なこともあるから、それに乗っかり人は乗っかってもいいよ」と教えるべきではないか。

高校生の私も、50を過ぎた私も、「結婚」というものをしたいと思ったことはないし、恐怖すら感じている。

だけど、「普通するものだ」「みんなしたいはずだ」という一般的な世間の押し付けは、「ゆらぎ」を生む。
「あとで結婚したいとおもうかも」とか、
「一生独身って…惨めかも」とか、
「子ども産まないと後悔するのかも」
「タイムリミットが」
とかいう世間の言葉に、罪悪感を含んだ「ゆらぎ」を感じない人なんて、いないだろう。

私は子どもも、ほしいと一度もおもったことはない。

でも、もしかしたら?

生んだらとてつもなく可愛がり愛するかもしれない。
「私」というものが変わるきっかけになるのかもしれない。

子どもを産み育てて幸せを感じる人は世の中にいっぱいいる。
もしかしたら…こんな私でも、人の親になれば世間でいう一人前の大人として、みんなが認めてくれるのかもしれない。

でも、それよりもやっぱり「恐怖」の方が大きかった。
何度か妊娠をする夢を見て、夢の中で「いやや、いやや~!!」と泣け叫んだことがある。
物理的に出産できない年齢に達し、「ゆらぎ」は消え、やっと、心から安堵することができた。

でも、今でも納得できないことがある。

「普通結婚するものだ」「普通出産したいものだ」という固定概念をびっちりと植え付けられていた私の「ゆらぎ」が50を過ぎてやっと収まったということ。
どうせなら、もっと早くにスッキリしたかった。


「普通」の押し付け

私は美容室へ行くのが苦手だ。

だけど毛量多めなので、月1回はカットしてもらわなけばならない。
つらい。
何がつらい、って、美容師さんとの会話がつらい。
長年、どこの美容室でも、同じような苦痛を感じてきた。

美容師は、まず「今日はお休みですか~」など聞いてくる。
なぜだ。
なぜ「お勤めしている」と決めつけるのか。
探りを入れられているみたいで気持ち悪い。
そして趣味やらなんやらを聞き出そうとする。

もっと馴れ馴れしい美容師は、結婚しているのかとか、彼氏のアリナシとか出身地とか、きょうだいの人数とか、プライベートにまでずかずかと踏み込んでくる。
さらに休みの日は何をしているのか、とか、仕事がなくて家にいるときは何をしているのか、とか、ねちねちと細かく、仲のいい友達でもないのに、「誰が興味あんねーーーん!」という事柄まで聞いてくる。

すごく、うざい。

髪の相談以外のことは、話したくない。
「あなたにプライベートや仕事のことで報告、相談することは一切ございません!」
と叫びたくなるけど、1時間程度のことなので、我慢してへらへらと受け答えをする私。

なぜ私は、美容師との会話にこんなにイライラするのか。
へたすると1カ月くらい、イライラしている。

私は一体、何に対してイライラしているのだろう。
と、考えてみた。

美容師は、私のことを、「普通」のカテゴリーの中から見出そうとする。
それが嫌なのだ。

「普通、お勤めしてるでしょ?」
「普通、休みの日はどこか遊びにいって休日をエンジョイするでしょ?」
「普通、家ではまったり韓流ドラマ観たりYouTube観たりするんでしょ?」
「普通、ラーメン好きでしょ?」
と、いうきめつけ。

さらに若い女性なら(私はもう若くないけど)当然、モテたいでしょ?かわいくなりたいでしょ?女らしいほうがいいでしょ?彼氏ほしいでしょ?結婚したいでしょ?
美容師にとってはそれが「普通」。
狭い「普通」の中で、
「俺、どんな話題でも合わせますよ」的な態度。

よく考えると、髪を切りに来ただけなのに初対面の人といきなり「お仕事は何を~?」とか「休日は何してますか~?」などという会話をするなんて、変だ。すごく変だ。

言っとくけど、51歳独身の売れない女漫画家は、あなたの「普通」カテゴリーの中に一切、入ってませんから。

私は、月1回、「はやく終わって」と祈りながら、この時間を過ごす。

私は「普通」ではないのだ。(HSPは自覚している)

これが、あらゆるところで、違和感や生きづらさを感じる理由なのだと思う。

でも、改めて考えてみると…

じゃあ、「普通」ってなんだ?

と、いうこと。

誰が「普通」なの?どの人が「普通」なの?
「普通」は正しいの?正解なの?偉いの?幸せになれるの?安心なの?
その「普通」に外れると、ダメなの?終わりなの?

そんなことはないはずだ。

もし、「普通」が「いい」と言うのならば、
「普通」のバリエーションがあまりにも少なすぎる。


たとえば「仕事」のこと。
ほとんどの人が「普通」結婚をするという時代に生きていると、とてもめんどくさいことにぶち当たる。

それは、「漫画家になんかなったら結婚できないんじゃない?」と他人からよくいわれてきたことだ。

幼いころから漫画家になると決めていた私に、最初は応援はしてくれていても、だんだんそんな「同情」を向けてくる人が、とてもたくさんいた。

「家で漫画描いてたら出会いがないでしょ」
「旦那さんになる人が反対したらどっちを選ぶの?」
仕事か、結婚か。
信じられないことだけど、こういったことがを何度も何度も
何度も言われた。

「女性の漫画家はモテない」「結婚できない」

と、信じられた時代。

もちろん、結婚されている女性の漫画家はたくさんいるし、モテる人もたくさんいる。
つまり、漫画家だから、というわけではないということ。
(私が結婚できないのは漫画家という職業のせいではなく、私自身の責任です!)

「でも、漫画家さんでも普通に恋愛とかしてる人はしてるよ」と言っても
「どうやって?」とか、「どこで知り合うの?」とか、「一体どんな人と付き合うの?」と、ビックリした顔をする人が…
結構、いる。令和の今でも、いる。

つまり一般的に「職業」というものは、「恋愛」や「結婚」に不利になったり有利になったりするものなのだ。(世間の考えでは)

「漫画家さんと付き合うなんて一体どんな人なの?」なんて、めっちゃ失礼な質問だと気づいてないのだろうか?

「あんたみたいな人と、一体誰が好き好んで付き合うの?」と言っているようなものではないか?

令和4年の現在では「古い話」と信じたい。
私が若かった時代の、世間の価値観とは、こうだ。

恋愛経験が豊富な女性が勝ち。彼氏がいる女性は幸せ。
そういう女性とは、つまり男性に選ばれる機会が多い。
男性が選びたい女性とは、「普通」の女性だ。
普通に、かわいらしくて、女らしくて、控えめで、家庭的で、料理がうまくて、子どもが好きで、男性を立ててくれる女性。
(古い話だけど)私たちの若かった時代、大抵の女性は「腰掛」としてどこぞの企業に就職をした。
結婚したら寿退社。
家庭を守るため。旦那様を支えるため。

男性がそういう女性を選びたいのなら別に仕方のないことだ。どーぞどーぞという感じ。

でも、わざわざ男性に選ばれるために、「男性が望む普通の女性」にこちらから寄せていく必要はないと思う。

私が何を言いたいのかというと…

もしも、どうしても挑戦したい職業や何かがあっても、それを突き通すことが世間的に「普通」ではなかったら?

「普通」から外れることは、イコール「結婚」を諦めなければいけないことだと思い込んでいたら?

もしも、私のように、結婚も出産もはじめから興味がないというのに、世間の「普通」の意見にまどわされて、30代も40代も「ゆらぎ」の状態のまま、真剣に自分の夢に飛び込む決心がつかず、ずっと中途半端なままだとしたら?

もちろん、50代を過ぎてからでも、夢を見つけ、追うことはできる。
でも、30代、40代の貴重な時期を棒に振る必要なんてなかったはずだ。

もしかしたら、「結婚しやすいように」(男性から選ばれやすいように)と、自分の本当の気持ちに蓋をし続けた女性だって、世の中にはたくさんいるのではないだろうか?
そういう人たちにとっては、ただ30代と40代を無駄に過ごしただけで50代になったときに何も残らず後悔する…という現実が待っている。


もう全部「普通」にしちゃえばいいんじゃないか?

ここで、私が提案したいことがある。

私が結婚も出産もしたくない、からといって、
結婚をして家族を作っている人たちのことを否定しているわけでは、
当然、ない。
それに、「独身の方がいいよー!」と言っているわけでも、ない。

ただ、人それぞれが、「自分にあった人生」を選べばいいとおもっている
だけなのである。

聞くところによると、生涯未婚率は年々上がっているらしい。
ほとんどの人が結婚できていたのは、私の親の世代のこと。
あと数十年経てば、もしかしたら、半分の人は生涯未婚のままという可能性もある。
と、すると。
「普通、結婚するよね、したいよね」なんていうことはもう通用しない。

結婚するのも「普通」。
そして、しないのも「普通」。

これでいいではないか。

もう、すべて「普通」にしてしまえばいいと思う。

そうすればそもそも結婚したいと思わない人が「結婚したほうがいいのかな」と焦ることもないし、
未婚の人に対して「どうして結婚しないの?」と、しつこく言う人もいなくなる。「理想が高すぎるんじゃない?」などという、タワケな上からの指摘も受けることもなくなる。

ついでに言うと、
未婚のまま子どもを産むのも「普通」。
結婚しても子どもをもたないのも「普通」。
同性同士で結婚するのも「普通」。


必要なことはただひとつ、「それを選び決断したのは自分自身であるかどうか」なだけ。

世間体や、同調圧力ではなく、自分自身が「普通」と思えば、それこそが
「普通」のことだ。
とてもシンプル!


一生独身である私のこれからの生き方



50を過ぎた現在、最も気になるのは「健康」のことと、
「経済的自立」のこと、「住居」のこと。
そして「友人」のこと。

いくら「50を過ぎて生きるのがラクになりました」とはいえ、
やっぱり、完全にラクになったわけではない。

でも、それは結婚してようが独身だろうが、すべての人に共通する不安や課題であると思うし、前向きに考えていこうと思う。

私は死ぬまで仕事がしたいし、いつまでも、同じスタイルの漫画ばかり描いていては、いつか必ず仕事は途切れる。
そうならないためにも、今から10年後を見据えていろいろチャレンジしていきたい。
(こうしてエッセイを書いてみたり、コミックエッセイを書きためたりしているのも、そういった理由からである)

死ぬまでマンガを描いていくためには、当然「健康」も重要なので、
無理はしない、とか、なるべく自炊する、とか、
朝起きてからと、夜寝る前にヨガをしたり、たまにはジョギングしたり、
好きな温泉に浸かったり…。

住居は、人生の中でも凄く大きな問題なので、ゆっくりじっくり、そして
直感も大事にして、決めていきたい。
私は24歳のときに一人暮らしをはじめ、その後、3回引っ越しをした。
今住んでいる所は、キレイだし便利だし、とても気に入っているけど、今後変わっていくであろうライフスタイルに合わせて、見直していきたい。

そして、これからの大きな課題は、「友人」を作ることであると思う。

私のような人間は、当然のことながら、若い時から友人が少ない。
習い事であったり、なにかのセミナーであったり、ひょんなことから
「友人」というものができたことは、ある。
(もちろん、中学生、高校生時代から続く友人というものはゼロ)

でも、続かない。
はじめは仲良くしても、だんだんギクシャクしてしまい、
最終的には疎遠となる。

30代、40代、と私は友人を作らずに生きてきた。

でも…

今では思う。
「それでよかったんだ」と。

なぜ30代40代で友人ができなかったのかと言うと、
私のことを誰も理解してくれなかったからだ。

「だったらこちらから理解して差し上げなさいよ」
と、きっと友人作りの名人はアドバイスしてくださるだろうけど。

努力は、した。(ちょっとだけ)
でも、無理だった。

「どうして結婚しないの」
「理想が高すぎなんじゃないの」
「どうして漫画なんて書いてるの」
「その漫画、誰が読むの」

と、面と向かって言われて、私はどう説明したらいいのか
わからなかった。
「理解してほしい」とは思ったけど、理解してもらえるように説明することはとても面倒だとも思った。
そんな時間と労力があれば、走って家に帰って漫画の続きを描きたいと思った。

私は「孤独」だった。

でも、50を過ぎた今、思い返すと

孤独で良かった!とおもっている。

なぜかというと、孤独な中で続けてきたことが、今、
友人作りの役に立っているからだ。

たとえば文学フリマというイベントに参加すること。

自分の手作りの本を売るイベントなんて、
ちょっと変わった人ばかり集まるに決まってる!(誉め言葉)

そのちょっと変わった人たちは、私に対し、
「どうして漫画なんて描くの」などと言う質問はしない!
(だって、みんな何かを書いている)

ここで知り合った人たちは、みんな自分の意思で、自分の好きなことを
している。
未婚既婚は関係なく、そういう人たちは、私のことをすんなり理解してくれて、私はとてつもなく安心できる。

私はこういうところで出会った人たちを尊敬するし、
お互いの夢と幸せの生活のために、何かいっしょにできることはないかと、
本気で思う。
別に連絡先を交換したわけではないし、次に会う約束をするわけでもないけど、そういう関係を「友人」と呼ぶのではないだろうか。
(私が一方的におもっているだけかもしれないけど、まあいい)

文学フリマが縁でこんな作品もできましたよ!

「はじめてストリップ劇場にいってきたはなし」





30代、40代の若い頃は、別に無理に友人を作ろうとしなくても、孤独でいいと私は思う。

孤独の中で、真剣に遊べる人、自分自身で楽しみを見つけることができる人でないと、
50を過ぎてから友人を作るのは難しいのではないか?と思う。

孤独を怖がって、誰かに寄りかかろうとしたって、迷惑がられるだけだし、
寄りかかられても困る。

自分の家族や恋人に平気でモラハラする人がいるけど、ああいう人は、
とても「孤独」を怖がっているのだと思う。

一人になるのが怖いから、近くの人が去ってしまわないように、
モラハラ攻撃で自信を奪う。
そうしたら、成長は止まるので、自分から離れることなんてできなくなる。
そういう思考。すごく哀れでかわいそうだと思う。
だって、本当は愛したい人、愛する人なのに、
そんな形でしか接することができないなんて…。

友人であっても、恋人であっても、
「ずっといつまでも一緒ね」なんてあり得ない。
いつか自分の元を去ってしまうかもしれない。
価値観が変わったり、今よりも別の形で成長したくなったり。

そうすると、また自分は孤独になってしまう。
それを「嫌だ」と思うか、相手のためだから仕方ない、と
受け入れるか。
悲しみは伴うけど、それを乗り越えることもまた人生において大事なステップなのだと思う。


最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
お礼に(?)私の若さの秘密をコッソリお教えします!(笑)




サポートしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。