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読書感想文 #12:サイコメトラーEIJI「殺人鬼メビウス」/安童夕馬、朝基まさし

先般「GTOの感想文書きたいかもぉ〜」みたいな独白を兼ねて昔のマガジンについて記事を書いたが、その後結局「サイコメトラーEIJI」を読み始めた。

信じられないくらい懐かしい。
小学生の頃以来である。

再読するにあたり感想文も書こうと思ったが、単行本にして25巻分を1本にするようなサマり力はないので事件ごとに1本書くことにした。

本稿ではCASE 1「殺人鬼メビウス」を扱う。




物や人に触れるとそれに残った過去の記憶の断片を読み取るサイコメトリー能力を持った少年・明日真映児が、警視庁の女性刑事・志摩亮子と協力して怪事件を次々と解決していくというミステリー作品。

Wikipedia「サイコメトラーEIJI」


好みとの合致度:70%
 - 絵柄:4/5
 - ストーリー:3/5
 - キャラ:4/5
 - ノリ:3/5


てっきり途中から読み始めたものだと思っていたが「殺人鬼メビウス」をめちゃくちゃ覚えていたのでどうやら最初から読んでいたようだ。小さい頃このCASEで初めて「メビウスの輪」の存在を知り、新聞の折込広告を切り貼りして作ってみたことがある。

本作について検索してみると連載開始は1996年になっていたので本当に10歳にも満たない頃からマガジンを読んでいたのだろうが、改めて読んでみると年齢1桁の女児が読むには治安が悪すぎる作品であった。



殺人鬼メビウス

女子高生を標的にした連続殺人事件が起こり、被害者は暴行を加えられたのち制服の上を──作中で表裏と書いてあるが正確には──前後逆に着せ替えられて遺棄(どの時点で殺害されたかは作中で明言されず)、傍に紙で作られたメビウスの輪が落ちているというのが「殺人鬼メビウス」の概要である。

犯人逮捕後に「犯人が幼少期に体験したトラウマと性的興奮とが混同され、制服の前後を着せ替えるというパラフィリア的な要素を含む猟奇殺人に繋がった」というような説明がなされるが、制服の向きが性的興奮と関連するのであれば着せ替えてから暴行に及ぶ方が順当なのではと疑問に思った。

性行為後に着せ替えるって、たとえばメイド服が性癖なのに普通にセックスしたあとでメイド服を着るようなものじゃないのか?最中じゃなくていいのか?

かの有名な殺人鬼ジェフリー・ダーマーは犯行をルーティン化させていたというが、メビウスも拉致→暴行・殺害→着せ替え→遺棄のルーティンにしていたのだろうか。

犯人がアダルトビデオを観ているシーンがあり、出演している女性がセーラーを着ていたが、当然制服の向きは通常通りなのでもはや制服の向きが性的興奮と結びついているというより単に制服フェチの変態みたいである。



猟奇殺人鬼と家族

猟奇殺人鬼は得てして幼少期にトラウマを抱えているとされる。

あらゆるシリアルキラー、殺人鬼の経歴には幼少期の凄惨な体験が含まれていることが多く、悍ましい殺人鬼であるにもかかわらず生い立ちに関しては同情の念を抱いてしまうほど。

特に両親からの身体的・精神的虐待やネグレクトの例が多い印象があるが、メビウスも過保護・過干渉な母親に支配され続けたために健全な成熟を経ることができなかったとされている。

メビウスは母子家庭で、母親は父親をよく言わず「父親のようになるな」と言って聞かせているシーンがあったが、自分にとって最低の相手だとしてもそれを子供に吹き込んでいいかどうかは全く別の話だ。

子供にとっては自分の半分が父親でもう半分が母親みたいなものなのに、親同士が否定し合っていたら自分が丸ごと否定されているような気分になる。

そして、子供の心の中に「父(母)がダメなせいだ」「ダメな遺伝子を受け継いだせいでうまくいかない」という呪いを植え付けかねない。
大人になってからも挫折のたびに「自分がこうなのは〇〇のせいだ」と親の責任にする人はたくさんいる。

たとえ親の影響が大きかったとしても、それ以外の改善点を考えられないような思考の温床を親が拵えてはだめだ。

先天的性質である「サイコパス」と違い、メビウスは家庭環境などに影響されて後天的に変化した「ソシオパス」であるが、サイコパスでもソシオパスでも平和を脅かすことなく生きて平和に生涯を終えていく人も大勢いるし、聞くだけでつらいような過酷な幼少期を経ても他者を傷つけず心優しく生きている人たちもたくさんいるだろう。

一方で幼少期にこれといったトラウマもなく家庭環境も特別に劣悪とは思えないような殺人鬼も存在するようだ。根っからのサディストであったり、自己愛性パーソナリティ障害と薬物乱用が組み合わさっていたり、単純に「あれがこうだからこうなった」と科学的に証明しきれるものでもない。

でも、他者を害するに至る分岐はどこにあるのだろう。



能力バレのシーン

漫画や映画などに触れた時、個人的に好ましくないと感じる要素に「人格より役割優先」というのがある。

「読書感想文 #2:雨月堂アンティーク/露久ふみ」でも書いたが、話を進めるため、入れたい描写を入れるためだけに登場人物を動かし、そのせいでキャラクターが言いそうもないことを言ったり、やりそうもないことをやったり、まともに思考しているとは思えない振る舞いをする……というのが好きになれない。

本作ではそんなに目立たないように思うが、エイジのサイコメトリー能力を志摩さんに勘付かれるシーンがそれにあたると感じた。

エイジは能力についてトオルにさえ打ち明けておらず妹や裕介などの限られた人以外にはひた隠しにしているはずなのに、初対面の志摩さんの前で部外者が知り得ないはずの情報をはっきりと口にし、あまつさえそれを志摩さんに確認し、なのに「やば!口が滑った!」のような反応さえしていない。

【極!合本シリーズ】サイコメトラーEIJI 1:p.19/590
【極!合本シリーズ】サイコメトラーEIJI 1:p.20/590

「..メビウス?」「刑事さん」「第三取調室か!」じゃないのよ。

エイジはコメディリリーフではあるがアホではない。
普段はおちゃらけていても思慮深い面がちゃんとあり、妹のことで焦っていたにせよサイコメトリーした内容を軽々しく口にするなんて不自然だ。

お察しの通りこの時のエイジは「志摩さんに能力を気付かせる」役割でしかなく、エイジの人格で動いていない。

ページ数などの都合を一切考慮しないとして、不自然に情報を口にさせずともエイジの態度の変化や志摩さんの洞察力を強調したような描写を入れ、別途確信させるようなシーンを追加したほうが「エイジの人格」的には良かったと思う。


余談

エイジと志摩さんがぶつかって倒れたコマ、絵柄が妙に新しくて違和感があったが、やはり修正されていた。

これは何を修正したくて描き直したんだろう……パンチラ?体格?効果音?吹き出し?髪型?
そんなことより修正後の志摩さんが全然志摩さんじゃないよ……😭

修正後が志摩さんにしてはロリすぎる……っていうかクニミツの政に出てくる明日香みたいに見える。



ポリコレやコンプラのない世界

主人公のエイジは高校生だが初っ端からタバコを咥えて登場し、その後も当たり前のように飲酒する場面が描かれたり、エイジの友人が読んでいる雑誌がそもそも児童ポルノ的な特集をしている上、被写体の未成年と淫行した旨が悪びれもなく書いてあったりするので、あれ?これ少年誌だよね?と何度か立ち止まることになった。

また、エイジは不良という設定なのでしょっちゅう暴力沙汰に巻き込まれるが、即死してもおかしくない状況でも死なずに反撃して大勢相手に勝ち残ったりする。
朝倉未来くんくらい強い。

しかしエイジや悪友のトオルが起こす暴力沙汰が問題視されることはほぼなく、志摩さんが職権濫用して色々揉み消したりするので法治国家とは思えない治外法権っぷりだ。

それから、志摩さんがありとあらゆるところで「女を使って男をいいように動かす」ようなシーンが出てくる。

キャリア組の刑事だというのにストッキングもはかず常に生足+ミニのタイトスカートなのですぐにパンチラ……どころかしっかり見せたりするのだが、

【極!合本シリーズ】サイコメトラーEIJI 1:p.98/590
(なんかジャケットが変……)

こういう女性に関するリアリティのなさが少年誌、特に昭和・平成初期頃の女の扱いという感じで興味深い。

少女・女性向け漫画における男性もかなりリアリティが欠如していると思うが、昔は「理想」や「欲望の対象」としてのアレンジがより顕著だったのかもと感じた。

いや……少女・女性向け漫画は今もそんな感じか?

それにしても志摩さんって本当に美人だ。
この頃のギラついている志摩さんが一番好きかもしれない。

志摩さんはセックス・シンボル的な立ち位置でもあるので高校生のエイジに色仕掛けをしたり毎回ディスコにいるような服装をしているのだが、志摩さんを描く時はできる限り谷間を入れ込みたいのか無理やり詰め込まれた谷間が鎖骨とくっつきそうな位置にあったりしてなんだか健気だ。

それでも最初のうちは襟のある服を着ていたり胸元の隠れる服を着ていたりとまだ刑事として逸脱しないトップス(ボトムスは最初から逸脱している)を着ていたのだが、数話で谷間とセットのキャラになり常に胸元の空いた服を着用し、谷間の形もI字だったりY字になったりカモメの形になったり……という変遷が見られる。

自前で大きい(無理やり寄せていない)人の谷間はI字という認識なので、I字だったはずの志摩さんの谷間がカモメになった時には「豊胸したんかい」という気持ちになった。

過剰なお色気や少年たちの素行不良っぷりは令和では歓迎されないだろうが、まだアリだと思う。少年誌なのである程度の不良描写やアウトロー感、セクシャルな表現はつきものだ。

しかし大人の女性を性的に扱うだけならまだしも「未成年を大人が性的対象にする」という生々しい描写がカジュアルに出てくるのがしんどい。

連載当時も目にしていたはずなのに今読むとやはり時代を感じるなあと思う。

時代を感じるといっても本作が連載していた当時の私は10歳未満だったはずなのでそもそも「女を使う」という概念がよく分かっていないし、本作に登場する未成年の多くは自分より「大人」であり、マガジンで描かれる内容を割と額面通り受け取っていたはずだから「高校生はタバコも吸うし酒も飲むのが普通」だとでも思っていたのだろう。

なにせ中学生が大人に見えていた時期だ。

しかし、メビウス編のみならずひどいハラスメントや性犯罪がギャグ的な扱いで済まされているシーンが散見されるので、すっかり令和に染まった今の感性で見ると受け止め方を調整するのに時間がかかることも多い。

当時もコンプラ意識皆無ではないだろうが、それでもかなり大らかな時代だったのだなあと感じるし、今このままの作品が少年誌で連載することは不可能に近いのかもなあとも思った。実際はどうなんだろう?

本作ではないが、昔は何の疑問もなく楽しんでいたはずの作品を好ましく受け止められないことが増えた。

コンプラやポリコレの影響による価値観の変化が大きいと思うが、Woke気取りを白い目で見ているようなひねくれた性格の私でさえこんなふうに感じるのだから、渦中の人々の感覚ではもっとしんどいのだろう。

時代の変化に伴って感覚も価値観も変わっていくし、それによって苦しむ人が減るのならいいことだと思うが、許容範囲が狭まりすぎて好きだったはずのものを楽しめなくなってしまうというのはやはり切ない。

Woke(ウォーク、[ˈwoʊk] WOHK)は、「目覚めた/悟った」を意味する「Wake」の過去形からきた黒人英語(AAVE)に由来する[1]、「人種的偏見差別に対する警告」を意味する英語形容詞

(中略)

2010年代半ば以降は、「社会に対して高い意識を持つ」という意味から、表面的なポリティカル・コレクトネス的な影響を与える人々、価値観を押しつける意識高い系というネガティブな意味で使われるようになった。この意味では、特に気候変動対策を訴えながらプライベートジェットに乗るダブルスタンダードセレブ、気候変動対策やBLM等の人種差別問題に寄付する一方で租税回避や過酷な労働環境を維持し、外国人労働者を流入させ賃金の上昇を抑えているAmazonなどの企業があげられ、このような体制は「woke資本主義」とも呼ばれる。[3][4]

(中略)

2020年までに、いくつかの西側諸国の政治の中道派右翼の一部は、「排他的」「大げさ」「パフォーマンス的」「不誠実」と見なされる様々な進歩的な左派の運動やイデオロギーに対する侮辱として、しばしば皮肉な方法で、「woke」という用語を使用した。また、一部の評論家は「アイデンティティと人種を含む政治思想を推進する人々を否定的に描写する不快な用語である」と考えるようになった。2021年までに、wokeは蔑称としてほぼ独占的に使用されるようになり、この言葉は軽蔑的な文脈で最も顕著に使用されている[6][7]

Wikipedia「Woke」

上記によると私が「Woke気取り」と表しているような人々を今やそのまま「Woke」で表すらしい。じゃあ本来の「Woke」の意味に当てはまる人たちをフラットに表したい時はなんて呼べばいいのだろう。



原作者

本作の原作者である安童夕馬氏だが、名義がいくつもあり、以下すべて同一人物である。

亜樹 直(あぎ ただし)
安童 夕馬(あんどう ゆうま)
青樹 佑夜(あおき ゆうや)
天樹 征丸(あまぎ せいまる)
有森 丈時(ありもり じょうじ)
伊賀 大晃(いがの ひろあき)
龍門 諒(りゅうもん りょう)

単独で活動しているほか、実姉でノンフィクション作家でもある樹林ゆう子と2人でユニットを組み、亜樹 直(あぎ ただし)をはじめ数々のペンネームで活動している[1](「亜樹直」以外のペンネームについては後述)。

代表作には、下記のような作品が挙げられる。

天樹征丸名義
・『金田一少年の事件簿
・『探偵学園Q

安童夕馬名義
・『サイコメトラーEIJI
・『クニミツの政
・『シバトラ

その他
・『GetBackers-奪還屋-』(青樹佑夜名義)
・『BLOODY MONDAY』(龍門諒名義)
・『神の雫』(亜樹直名義)

Wikipedia「樹林伸」

さらに、週刊少年マガジン編集者としての顔も持っている。

編集者時代の担当作品には『シュート!』『GTO』などがあり、原作クレジットが無くとも原作者並みにストーリーに関わってくることで有名だった。また、『金田一少年の事件簿』の編集を担当していたため、彼をモデルにした「キバヤシ」という名のキャラクターが複数回登場した[注 1]

Wikipedia「樹林伸」

「読書感想文 #10:(昔の)週刊少年マガジン/講談社」の中で以下のように記述したが、

こうなってくると「マガジンを読んでいた」というよりはもはや「樹林伸作品・加瀬あつし作品・刃森尊作品を読んでいた」に近いんじゃないか……?????

たしかにサイコメトラーEIJIを読んでいると「GTOみたいだな……」「金田一少年の事件簿みたいだな……」と思うことがあるのだが、まさか原作者(および原作者並みにストーリーに関わってくる編集者)が共通していたとは……

名義を変え、作画を変え、時には原作者ですらない作品同士にさえその個性をしっかり感じさせるのはすごいことだと思うが、よっぽど我の強い作家さんなのだろうか。

GTOで藤沢とおる先生が作画担当みたいになってたんじゃないかと心配になる😂



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