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「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎/落ち込んだときは本屋へ行く

 その日は、少し落ち込むことがあった。ひとに聞かれたら鼻でわらわれてしまいそうな、ほんの些細なこと。

 自分でもくだらないなと思うし、こんなちいさなことで悩めるってことは、きっと総じてしあわせな現在なんだとわかっていながら、あるひとから受け取ったメッセージへの、ほとんど被害妄想めいた解釈が止まらずネガティブ思考はぐつぐつと煮詰まるばかり。

 そんな気分を断ち切るために本屋へ出向いた。

 なんとなく手に取ったのは、松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」という本だった。

 情報があふれているいま、自分自身の解像度が低くなり、仕事と暮らしにおいて、混乱しがちで精神的に不安な人が増えています。
 ありのままの日々の中からささやかな気づきや感動という宝物をさがし、それをよろこび、それを分かち合い、それを育むことで、自分自身の解像度を明確にし、他人への解像度も高めていく。そういう生き方、そういう人生を、僕はみなさんと学んでいきたい。

「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎

 ページをめくるたび、くだらないことにとらわれていた思考がほどけていった。

 そこらじゅうにあふれる情報常識、だれかの声にまどわされずに、自分の内から湧いてくるものを、自分の感じたままをもっと信じたらいいんだよなと思えた。

 いまのわたしが欲しかった言葉がそこにはたくさん詰まってて、わたしを落ち込ませたできごとは、この本に出会わせてくれるためだったのかも知れないとさえ思う。

 昔から、落ち込んだときは本屋へ行く。

 インターネット上のブックレビューでもなく、だれかに勧められたからでもなく、自分の脚と目と手を使って、自分のなんとなくを信じて選んだ本はいつだって、いまのわたしに必要な言葉をくれた。

 そっか。そうだった。これまでだってそうやって、大事な一冊と出会ってきたんだ。

 わたしはわたしをもっと信用していいし、楽しんだらいい。だれかの些細なひとことや評価に、いちいち傷つかなくていい。

 ここのところ、わたしはずっと焦ってたんだ。

 いま、多くの人があたらしい情報に触れることばかりに夢中になっています。できごとやニュース、コンテンツについてじっくり考えるのではなく、次々と差し出されるあたらしい情報に意識を向ける。
(中略)
 実際、スタンプカードを埋めるように「より多くを知る」ことをなによりも大切にしている人がいるようです。

「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎

 だからこの「まるでスタンプカードを埋めるように〜」という一節にどきりとした。

 人生が思ったように進まないのは、知識が、教養が足りないせいだと思ってた。自分のこころの動きより、とにかくより多くのコンテンツに触れることを優先していた。

 それって、なんだかぜんぜんおもしろくないよなって、どこかでほんとは気づいてたのに。 

 十数年前、いまよりうんとなにもかもが上手くいってなくて、とっ散らかった生活を送ってたころ、たまたま松浦弥太郎さんの「あたらしいあたりまえ」という本を読んだ。涙が止まらなかった。

 帯には「暮らしと仕事をイキイキと輝かせる実用集」と銘打たれていて、いま読み返してももちろんとても素晴らしいけど、決して号泣するタイプの本ではないと思う。

 だけど、そのときのわたしはひどくこころを揺さぶられて、上手く説明できないけれど、どうしようもなく救われたのだ。

 わたしは、この感動を、感謝の気持ちをどうしても伝えたくて、いてもたってもいられなくって、著者の松浦弥太郎さんに手紙を書いたんだった。

 当時は雑誌「暮しの手帖」の編集長をされていて、発行元である暮しの手帖社宛に送れば本人に届くかも知れないと考えた。きっと忙しい毎日を送っているだろうから、封を切る必要のない絵葉書はどうだろう。何かの拍子に目にとまるかも知れない。

 そう思い立ち、勢いのまま絵葉書をしたためた。なにを書いたかはおぼろげだけど、決して上手な手紙ではなかったと思う。

 しばらくして、暮しの手帖社から自宅に封筒が届いた。

 郵便受けの中にそれをみとめた瞬間、わたしの手紙が差し戻されたのだ、と思った。出版社宛に絵葉書を送るなんて、迷惑だったのかも知れない。

 羞恥でわっと叫び出しそうになり、一気に全身がほてった。

 ほかの家族に見つかる前でよかったと身を震わせながら、おそるおそるそれを手に取り封を切った。

 けれど中身は、なんと、松浦弥太郎さん本人からの直筆のお返事だった。目の前の景色が、途端にぱあっとひらけていった。

 伝わったんだ。

 嬉しくて嬉しくて、どこまでだって走っていけそうな気分だった。

「エッセイストのように生きる」を読んで、あのときのまっすぐな感動を、どうしても伝えたいという衝動を、伝わったときの喜びを思い出す。

 この本に、いま出会えたことがわたしは嬉しい。

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