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東京在住大阪人/書くこと、人間関係、読書映画ドラマ、気楽に生きることについて/エブリスタで小説など書いてます✍️ https://estar.jp/users/393141976

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最近の記事

もどりたい場所なんてどこにもないけど

くずもちを食べた。きな粉と蜜とのとろんとした甘さのむこうに蘇る景色があって、ああでもあれはわらびもちだった。 毎週の生協のトラックでやってくる、内心飽き飽きしてるけど、きな粉をまぶす前の透明がすきだった。 気怠い身体にまとわりつく塩素のにおい。固く尖った先端がじんじんと痛むばかりで膨らむ兆しのない乳房。団地のぐるりと25メートルプールでぜんぶの夏だった。ぺたんこの自分を抱えて帰らない兄の漫画をこっそり読んでた。 全然なんにも知らないくせに、でもいろいろをわかってしまうか

    • 「東京都同情塔」九段理江/あなたが罪を犯さずにいられるのは、恵まれた環境で生きてきたから

      物語の中で、幸福学者のマサキ・セトは、犯罪者たちにホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)という新しい呼称を与え、彼らが快適に暮らすためのユートピアのような刑務所、シンパシータワートーキョー、通称東京都同情塔を設立する。 批判と賛同の声を半々に受けながら完成されたそれは、新宿御苑の真ん中に堂々と聳え立つ。 この東京都同情塔をデザインした建築家サラ・マキナの語りを軸にして物語は進むのだけれど、彼女の、あらゆる方向に広がり深まっていく執拗なまでの言葉への考察に翻弄される。

      • 「今、人生楽しくないでしょう?」

        面と向かってそう問われ、わたしは強い反感を覚えた。なんでそんなこと言われなあかんの。 夏は海にフェスにバーベキュー、冬はスノボに鍋パーティー。毎月のように旅行に出かけ、毎週のように飲み会にドライブにクラブイベント。当時のわたしは絵に描いたようなリア充だった。お金はあんまりなかったけれど、まわりには友だちも、友だちの友だちも、よくわからない男のひともたくさんで、いつもだれかと連れ立って、昼も夜もなく遊びまわっていた。そんな賑やかな毎日が、楽しくないはずないやんか。 そのひと

        • どうして見せびらかさずには生きていけないんだろう

          Netflixで「セレブリティ」という韓国ドラマを観た。大雑把に説明すれば、ごく平凡に生きていたひとりの女性が、インフルエンサーとして成り上がっていくストーリーだ。 作中のトップインフルエンサーたちはブランド物に囲まれて、キラッキラなセレブ生活を送っている、かのように見える。内情がどうであれ、よりたくさんの羨ましいを集めたものが勝ち。 彼女たちを筆頭に、登場人物たちが皆、誰ひとりしあわせそうじゃないのが印象的だった。 「あんたたちは、どうして見せびらかさずに生きていけな

        もどりたい場所なんてどこにもないけど

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        記事

          「観察の練習」菅俊一/見えているのに見えていない

          この公園の芝生は、どうしてこの部分だけがはげているのだろう。このキャッチコピーは、どんな前提条件をもって書かれたのだろう。この看板は、どうしてこんな場所に掲げられているのだろう。この既視感はなんだろう。等々。 本書では、著者が日常の中で「ちょっとした違和感」を覚えた風景を写真で提示し、次のページでその違和感の理由についての考えが述べられている。 つまり、読者のわたしたちも写真を見ながらその違和感についてを一緒に考え、世界を観察する練習ができるしくみになっている。 違和感

          「観察の練習」菅俊一/見えているのに見えていない

          だれにでもあること

          思い出しただけで、おもわず叫び出したくなるくらい恥ずかしいこと。 なんであんなこと言っちゃったんだろうってこと。 あえて言わなかったこと。 あんなに仲良くしてたひとと、いつの間にか疎遠になってしまったこと。 なんだかいじわるな気持ちになること。 自分だけ知らされてないこと。 既読スルー。 知り合いを見かけたけれど、なんとなく気づかないふりしてしまったこと。 だれにも言えないような妄想をしてしまうこと。 気まずい沈黙。 嘘をついてしまうこと。 だれにでもあ

          だれにでもあること

          無理にどうにかしようとしない

          ゴールデンウィークの連休に、わたしはどうしても地元に帰りたかった。地元を離れたばかりだったわたしは、どうしても友だちに会いたかった。 当時、わたしの実家は複雑な問題を抱えていて、のんびり帰省できるような状況ではなかった。今は帰ってこないでと家族に反対された。 とは言えゴールデンウィーク価格のホテルに滞在できる余裕もなかったわたしは、反対を押し切って実家に帰った。 結果、わたしの帰省をきっかけに家族関係がさらに悪化して、問題はもっと大きくなってしまった。 予定どおり幾人

          無理にどうにかしようとしない

          めんどくさいからおもしろい

          おしゃべりって、めんどくさい。ときにズタズタに傷つくし、傷つけてしまうこともある。 あのひとことは余計だったな、自分ばっかりしゃべりすぎたな、もっといい返しはなかったかな、ちょっと見栄張っちゃったよな、なんか気まずかったなって、後悔ばっか。なのに、どうしたってやめられない。 まれに上手に伝わったとき、くだらないことで笑いあうとき、胸のつかえがすうっと取れて、世界がすばらしいものに思えてくる。 取引先のひとと電話でしゃべって、ほとんどただの仕事の話で、だけど妙に心地よくっ

          めんどくさいからおもしろい

          諦めたころに上手くいく

          痩せてることがすべてだった。 雑誌の中でポーズを決めるギャルたちの、ぺたんこの身体に憧れていた。 二十歳のころのわたしは、飴玉ひとつにいたるまで、口にしたものすべてをノートに記録して、摂取カロリーを計算していた。目標数値は500 kcal。一食ではなく、一日あたりの目標だ。 茶碗に軽く一杯の白米が約230 kcalだということを鑑みれば、とても無理のある数字だとわかる。 来る日も来る日も、体重のことばかり考えていた。 もちろんそんな生活がずっと続くわけはなく、半年間

          諦めたころに上手くいく

          人と比べて落ち込んだとき、なるべく早く立ち上がるための指針をつくる

          自分は自分。人と比べる必要なんてない。じゅうぶんにわかってるつもりだけれど、不意にダメージを食らってしまうことがある。焦ってしまうことがある。 同い年のあのひとや、少し前まで同じ場所に立っていたはずのあのひとなんかの充実ぶりに。 最近なんだかまんねりしているなあ。自分だけが全然前に進んでないような気がするなあ。 そんな風に自己嫌悪の波にのまれて、ずるずると落ち込んでしまうことがある。 まあ生きていればそんな日がたまにあるのは仕方ない。でも、そこからなるべく早く立ち上が

          人と比べて落ち込んだとき、なるべく早く立ち上がるための指針をつくる

          ドラマ「ブラッシュアップライフ」何度でも戻ってきてしまう

          現在の記憶をもったまま、人生を最初からやりなおせたとしたら。 だれもが一度は考えたことがあると思う。バカリズムさん脚本のこのドラマの中で、主人公はなんと5回も人生をやりなおすことになる。 もちろんその都度ブラッシュアップされてはいくのだけれど、学力と職業以外は思いのほかなにも変わっていないようにも見える。 人生何周目だからといって、世界を変えるような大層なことを成し遂げるわけでもなく、身の回りで巻き起こる些細な事件(本人たちにとっては切実だけど)ばかりを毎度律儀に救って

          ドラマ「ブラッシュアップライフ」何度でも戻ってきてしまう

          だれにも読まれない文章を

          10代のころ、どこにも吐き出せない胸の内をひたすらノートに書き殴っていた。 あふれだす感情に書くスピードが追いつかなくて、文字も文脈もめちゃくちゃ。ときにはだらだら涙しながら、勢いあまってシャーペンの芯をぼきぼき折りながら、来る日も、来る日も。 現在みたいにインターネットは身近じゃないし、どこに発信するでもない。だれにも読まれない文章を、わたしはわたしのために書いていた。書かずにはいられなかった。 恥ずかしいとかうれしいとか悔しいとか、あまりに率直で生々しい感情の羅列は

          だれにも読まれない文章を

          「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎/落ち込んだときは本屋へ行く

           その日は、少し落ち込むことがあった。ひとに聞かれたら鼻でわらわれてしまいそうな、ほんの些細なこと。  自分でもくだらないなと思うし、こんなちいさなことで悩めるってことは、きっと総じてしあわせな現在なんだとわかっていながら、あるひとから受け取ったメッセージへの、ほとんど被害妄想めいた解釈が止まらずネガティブ思考はぐつぐつと煮詰まるばかり。  そんな気分を断ち切るために本屋へ出向いた。  なんとなく手に取ったのは、松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」という本だっ

          「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎/落ち込んだときは本屋へ行く

          映画「14歳の栞」みんなちがって、みんないい

          映画「14歳の栞」を見た。 みんなちがって、みんないい。 金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の一節が頭に浮かんだ。 映画は、とある中学校の2年6組の3学期をとらえたドキュメンタリーで、35人の生徒それぞれの視点から見た日常が淡々と映し出される。 大きな事件は何も起きないけど、14歳ならではの心の揺らぎ、繊細さ、親密さ、不自由さ、ヒリヒリしたリアリティに引き込まれる。 あたりまえに、いろんなひとがいる。クラスの中心で騒ぐひと、すみのほうでひっそり顔を伏せるひと、教室には来

          映画「14歳の栞」みんなちがって、みんないい

          自分から誘ってみる

          いつからだろう自分から誘うのをためらうようになったのは。 たぶん30歳を超えたころから。ちょっとしゃべろうよ、ごはん行こうよって、昔はもっと気軽に誘えてた。 若いころは基本的にみんなひまだったし、学校や職場や地元でひんぱんに顔を合わせていたから、どちらが誘うでもなく自然と予定が立っていた。 30代も半ばを過ぎたこのごろは、みんな生活スタイルや状況もいろいろだから、ちょっと連絡するのでも「忙しいかなあ」とか「迷惑かなあ」ということをぐるぐるぐるぐる考える。 めんどくさい

          自分から誘ってみる

          自分の人生がだいすきなんです

          って言ってる人を、すごく、すごく羨ましいと思った。 WEBのインタビュー記事だった。それを言ったのは超売れっ子のタレントで、単純にその人の経歴が眩しいというのももちろんある。でも、なんだろう。 「自分の人生がだいすきなんです」と言い切れるそのことが、吐き気がするほど羨ましかった。 わかりやすく成功しているひとに限らず、これ!というものに人生ぜんぶを捧げていたり、人生めっちゃ楽しんでるやん、というひとを目撃したとき、わたしは自分の毎日を省みて、身動きが取れなくなってしまう

          自分の人生がだいすきなんです