「不倫警察」と今のSNS
2018年に世にも奇妙な物語で「不倫警察」という話が放送された。主演は唐沢寿明。以下、うろ覚えだがあらすじをめちゃくちゃネタバレをする。もう6年も前の話だから許して欲しい。
これを見た当時、私は「いや世論はあるやろ」と思った。
この話の問題は「不倫という当事者同士の愛の問題を刑罰化した事」にあるのであって世論のせいではないだろと思って、そのエンディングにがいまいちピンと来なかったのである。なんなら世論=私たちの声だと思い、いやなんで声をあげる事が悪いんだよと少し腹を立てた。
だが、今このご時世は「不倫警察」に近いている気がする。ようやくあの話が言いたい事が分かって来た。
変わらず世論自体は悪くないと思っているし、私たちがSNSなどで声をあげることが悪いというわけではない。寧ろそれは当然の権利であると思う。問題はその中で自分の意にそぐわない人間を発見した時に、簡単に私刑に処す事が出来るようになってしまっている事だ。執拗に悪口を書き込む、晒しあげる、個人を特定するなど、とにかく嫌がらせをする。これらは全て私刑である。やっている本人は罰であるという意識すらないままに「こいつはそうされて当然の悪人だからこいつが悪い」と思っているのだろう。
この状況がまずい事が「不倫警察」を通してわかるだろう。罪状は不倫に限らない上に、SNSをやっている人間全員が不倫警察の様に動いている状況だ。しかも裁判は行われない。なんとなく叩いても良さそうな雰囲気つまり多数決によって私刑は処され、罰される。マイノリティな意見を出す事は、その私刑の矛先を自分に向ける事と同じになってしまう。寧ろ不倫警察よりタチが悪い。
とは言えSNSの多数の声によって、企業の旧世代な体制が改善されたり誰かの救いになったりする話は、今となっては珍しくない。それは素晴らしい事だ。しかしそれが成功体験になってしまって、なんでもかんでも叩けば直るといった考えになっている人がいるのではないだろうか、という話だ。
意見は言って良い。悪いことは悪いと言っていい。要は伝え方の問題なのだ。「こんなこともわからないなんて、貴方は馬鹿ですか?」と言うよりも、「こういった考えもありますよ」と言った方が良いに決まってる。前者は「無知な人を罵倒するという私刑」であり、後者は「シンプルな意見または指摘」であるからだ。ただそれだけの、当たり前の話。
誰しもが小学校ないしは幼稚園で「人の悪口を本人に言っちゃいけません」であるとか、「人に向かってバカとかアホとか言っちゃいけません」という事を言われた事があると思う。それは正しく各人の胸に残っているはずだが、いざ匿名インターネットになるとついバレないだろうと思ってやらかす人もいる。
それは違う。ネットがただの匿名ツールである時代はもう終わった。自分とは切り離された仮想空間ではなくなった。とある会社の副社長も言っている↓様に、インターネットは拡張された現実となったのだ。ネットにいるのは自分のアバターてはなく、自分自身。そして相対しているのも、その人のアバターではなくその人自信だ。「ネットでは言うけど現実では言わないからいいでしょ?」なんて事は、もはや絶対に有り得ない。
でも、どうしても何かで心が苦しくなってどこかに吐き出したくてめちゃくちゃに悪口を言いたくなった時は、絶対に本人や当事者に届かない様に吐き出さなければならない。本人に届いてしまった瞬間に、それは「私刑」になるからだ。どんなにちょっとした苦言であっても、その人を傷つける事には違いないのだ。
偉そうに道徳の話を垂れてしまった。恥ずかしい。沈もう。さいなら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?