京都、銀閣寺、哲学の道

京都、行って来ました。
朝9:30に京都駅にもう一人日本人の友人と、アルゼンチンから来た母一人娘二人の家族と合流した。娘二人とは七年前にもこうして会って遊んでいたのだ。久しぶり〜!正直顔うろ覚えだったけど、見て完全に思い出したわ。それは「思い出した」とは言わん。はい。お母さんとは初対面だった。良い人そう、初めまして。
電車とバスを乗り継いで、哲学の道に行った。今の京都はどこかしこも観光客が多過ぎてピリついてると聞いてたけど、バスの運転手は確かに若干ピリついてた。でも予想より全然マシだったし、しゃーないでしょと思う。しかもバスはまぁ混んでるけど、異常な程ではなかった。

哲学の道。なーんも調べずに行ったけど、綺麗だね。川沿いにずーっと桜並木が続いている。西田幾多郎が歩いて思索に耽った道、へぇー。風情がある。桜と葉桜が半々だったけど、それでもまだ風が吹けば花びらが一斉に舞う。水道に花びらが溜まっている(もっと良い言い方があったと思う)。綺麗だ。素晴らしい景色だった。
どこもかしこもメチャクチャ混むのを警戒して早めのご飯を食べた。食堂が開いた瞬間に滑り込んだけど、全然混む気配がなかった。なんや大丈夫やん?て思った。食堂のおばちゃんだけが忙しそうな喋り方をしてたけど、実際全然忙しくはなかった。入ってすぐは色々急かされたり語調がキツくてちょっとやだなと思ったけど、意外と人が来ない事を察するとご機嫌にお喋りしてくれていい人だった。やはり忙殺は人を変える。何事もゆっくりがいい。木の葉丼を食べた、美味しい。
哲学の道から銀閣寺へ。ここもまだそんなに混んではなくて良かった。自然の中に身を置いてると、ゆったり開放的な気持ちになる。

ところで、ちょっと前にXでバズっていた、綺麗なものに「綺麗だね」と言って終われる叙事詩的な感性は、私にはまだ完全には備わっていない。ある程度深く気安く付き合っている友人にしかそれができない。まだ付き合いの浅い人には「私との会話を楽しんでくれてるだろうか」「オチがないとつまんないと思われてるんじゃないか」という心配が先立って不安で仕方がなくなってしまう。だから、自然を前にして私は何も言えず黙り込んでしまう事が多い。「綺麗だね」と言われたら、多少物事を穿った見方をしてまで返せる言葉を必死で探してしまう。あまり良くないし、私も疲れる。
でも今日はなんだか自然でいられた気がする。この母娘が沈黙を楽しみありのままを黙々と感じる事が出来る方々だったのが大きいし、そもそもしょーもない話を伝える事が出来るだけの英語力が私には無いから、諦めがついただけなのかもしれない。
何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけど、とにかくまぁ、良かったという事だ。

しかしまぁ、暑い。銀閣寺の出口で抹茶ミックスのソフトクリームを食べた。抹茶粉を上から振ってくれた、ささやかな嬉し。お腹よわよわマンの私が何にもビビらずソフトクリームを一本食べるなんて、これはすごい事ですよ。とてもとても暑いという事です。
出る頃には銀閣寺の受付が長蛇の列になってた。朝早く行動して良かった…!

そしてそこから哲学の道をずっと下って南禅寺を目指したのだが、これがまぁ、ずーーーっと歩くのだ。先ほど述べた様に、この母娘はとても風情と景色を楽しむのが上手い。つまり、めちゃくちゃゆっくり歩くのだ。途中で楽しい事はたくさんある。猫がいたり謎の楽器を鳴らしてる人がいたり魚がいたり亀がいたり絵を描いて売ってる人がいたりする。だから40分くらいの道を、結局1時間半くらいかかった。歩くのを覚悟してがっつりウォーキング向きのスニーカーを履いてる私ですら、なかなかに堪えた。にも関わらず、アルゼンチンママ(60代)は元気に歩くのだ。凄くないですか???そら私みたいなデスクワーカーの脚力と比べたら失礼なのかもしれないけども。

南禅寺に着いた段階でタイムアップが近くなってしまったので、周囲をブラついて観光をし終了とした。私達日本人二人は、途中で彼女らが欲しがったものを買ってあげるつもりでいたのにほぼお土産屋に寄らずここまで来てしまったので、ちょっと待ってて!と言って慌てて売店に駆け込んで物を選んでプレゼントした。喜んでくれたみたいで良かった…。計画は大事だな。
そしてあっと言う間にお別れになったけど、長女さんはまた結構すぐ来るらしい。財力も行動力もバイタリティも凄いな!クソ円安だから財力は関係ないかもしれないけど。

アルゼンチンの色んな話を聞けて楽しかったし、こちらの話にも興味を持ってくれ嬉しかった。もっと流暢に、間違いの少ない英語を話したいと気持ちが増した。
学びと楽し!が多い日だった。

そしてこれを書いている間に、私は電車を乗り過ごしました。この電車は次はどこで止まるのでしょうか、わかりません。さようなら。

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