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教習所に通ってみた|ジムニーSJ30への道のり③

ジムニーに乗りたくて、就職して2年目に思い立ってお金を貯め始め、ボーナスも投入して、やっと教習所に通うことなりました。
今回は教習のお話です(ジムニーはまだしばらく登場しません、スミマセン)

🔷教習所に通い始めた――通うのは大変、でも学科は面白い
仕事をしながらの教習は体がきつかったです。仕事が終わってから通うため、授業も運転教習も、疲れ切った夜に受けていました。当時、私は体力を使う仕事をしていましたので、夜には全身がぐったりと疲れていました。何とか気持ちを奮い立たせて、自転車で夜の教習所に向かうのでした。

「座学は退屈」とよく聞きますが、私にとってはどれも新鮮で面白いものでした。だから、行けばなんとかなると思うようにしていました。

道路標識や道路標示の学習では、今まで謎だった車道の路面に描かれた大きな白いひし形が「この先に信号機のない横断歩道あり」だったり、黄色いセンターライン「追い越しのための右側部分はみだし通行禁止」なのだと、その意味がよく分かりました。
「落石注意」の標識を見たらすぐに上に気をつけ、「横風注意」は突風に身構え、「動物注意」は道路わきから飛び出してくる小動物に気をつけなければならない、それも描かれている動物が出て来るらしい…道路上は危険がいっぱいあるんだなと想像したり。
路上には運転者にだけ意味のある記号や情報がたくさんあって、車を運転する人は歩行者とは違うルールで道を見て使っていたことには、軽いショックを受けました。

また、エンジンの構造や、タイヤ交換の際のナットを外す順など納得できるものがたくさんありました。
ハイドロプレーニング現象(濡れた路面でタイヤの排水性を超えて路面とタイヤの間に水が入り滑るメカニズム)や、フェード現象とべーパーロック現象(下り坂でずっとブレーキを踏んで走行していると、過熱状態になって部品の耐性温度を超え、さらには油圧オイルに気泡が発生してブレーキが効かなくなる)等を聞いて恐ろしさにおののき、「下り坂ではエンジンブレーキを使おう」と強く気持ちに刻んだりしていました。
そのほか、「高速道路では速度数値イコール車間距離(時速100キロだと100メートル)」「その目安は高速道路の車線の白線「線+空白」(20m)×5個分」とか、「徐行とは概ね時速10㎞以下、8㎞程度」とか、「自動二輪は道路の左側端から概ね1m以内を走行しなければならない」とか。どれも運転に必要な知識だと思ったので、強く印象に残っています。
私はかなり驚いたり感心したりしながら、熱心にメモを取っていました。そういう教習生は逆に稀で、目立っていたのではないかと思います。

🔹運転教習
そして、しばらくして運転教習が始まります。

まずは車の日常点検の方法を習います。ボンネットの開けます。よくレバーを間違えて、給油口がポンと勢いよく開いて驚きました。ボンネットのフタ(?)を支えるバーがちゃんとあって、その先をボンネット裏の穴にはめるとフタが固定されます。単純だけれど、よくできた仕組みです。
それから、エンジンルーム内のオイルや冷却水等の確認方法を習います。エンジンに刺さっている、丸い取っ手のついた平たい細長い棒を引き抜きます。いらないウエス(布)に当てて、オイルの汚れと量を見ます。
それから乗車前点検。タイヤの溝に異物が挟まっていないか等を見ます。そして車の周り回り安全確認をします。私がしゃがんで車の下を確認していたところ、「そこまではする必要ない」と教官に冷たく言われました。

乗るたびにこんなことをしていたら、毎日遅刻するだろう量の確認作業です。でも一つずつが初めてなので、教習生は神妙な面持ちでそれらを学んでいくのでした。

いよいよ乗車します。ドアを開ける前に、後方を確認。シートに座ったら、シートベルトを締めて、その後シートとミラーの位置を合わせます。
そしてやっとエンジンスタート。でもまだ走りません。メーター類の異常がないかを確認します。

そして、右ウインカーを出した上で、ルームミラー、サイドミラー、最後に後方を目視で確認します。アクセルをゆっくり踏み、マニュアル車なのでクラッチをつなぎます。
目視は「目だけではダメ」と繰り返し言われます。教習では減点対象となるため、これみよがしに頭を後ろに向けるようにしていました。見ていなくても頭が動けば合格なのです。それでも疑い深い教官に当たってしまった場合には、確認と同時に軽く指さして小さく「良し!」と声に出してアピールしていました。

🔹当時の運転教官たち
そう、当時は現在のような教官評価システムが導入される前で、まだ昔ながらの乱暴な口調の教官や、ぶっきらぼうな態度の教官がかなり多く残っていました。その多くは警察OBなのだそうです。彼らは接客としてのサービス業とは別の価値基準の人たちです。交通法規を教えるという公安委員会の性質を色濃く残していたのが教習所でした。

また、比較的若い女性教官が導入され始めた初期だったようです。「無愛想な鬼教官よりはましか」「女性教官は当たりが柔らかいだろう」などと想像していましたが、実際は男性教官と大差ありませんでした。むしろ女性から見下した教え方をされるのは、逆に恥ずかしさが増すようでした。
一度路上教習で渋滞して教習所に戻るのが難しい時間帯になった時、女性教官の態度が豹変し、「法定速度で走ってるんじゃないよ!」「何で黄色で止まるの!」「次の配車に間に合わないでしょうが!」と怒鳴られたのには驚きました。
「女性教官だから」となめられないようにと身につけた態度だったのか、当時の男職場に切り込んでいくには、相当な強さが必要だったのか。

いずれにせよ教官の態度はまだひどい時代で、私の知人にも教官の侮蔑的な物言いが嫌で教習を辞めた人が何人かいました。

現在はなくなってしまった、私が通っていた教習所
写真:@AA


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🔹職場の車庫での練習
当時の私の職場の敷地は私道の中にあったため、教習所に通う間ずっと、車庫入れの練習ができました。職場の車庫の幅が狭く、2台縦列でハイエースと上司のセダンを止める必要がありました。それで、外回りから帰った上司が、面倒な車の入れ替えと、向きの転回、車庫入れを、教習中の私に便利に頼んでいました。私はキーを渡されると、嬉々として車を動かしていました。この点で上司と私の利害は一致していたと言えますが、今思えば、まだ無免許の私に車を任せる上司もかなりいい加減な、アバウトな時代でした。
 

🔹期限までに免許が取れないかも
途中仕事の繁忙期や、疲れて気力が失われたりで、約3か月の長い中断や数週間の休みが何度かありました。すると、だんだん教習期限内に免許が取れるかどうか、というタイミングになりつつありました。

当時は、通常の教習予約は(オンラインで操作はできないものの)電子システムになっていましたが、その教習所のシステムは「キャンセル待ち」には対応していませんでした。もし予約外で乗りたい場合には、教習所のカウンターにある表に名前を書くというアナログな仕組みでした。そして、キャンセルが出ると、表の上から呼ばれて順に乗れる訳です。
それで、出勤前に職場の自転車を借りて約20分走って教習所に行き、表の一番に名前を書き、夜の自分の予約時間の次の時間のキャンセル待ちを申し込んで、2時間連続で乗るという方法で時間数を稼ぎました。
 

写真:@AA

🔹思い出の地を巡る路上教習
仕事後の教習はずっと夜でしたが、終盤は土日も通わないと間に合わなくなりました。
初めての昼間の路上教習では、人がたくさん歩いていて表情まで見えるのと、明るいためにまわりの景色がたくさん目に映るのとで、とても怖かったのを憶えています。夜行性の動物が昼間に目覚めてしまったようなものです。その視覚的な情報量やまぶしさは、夜にはなかったものでした。
 
一方、私にとって楽だったのは、私が育った町が教習コースになっていたことです。道順を憶える必要がなかったのはもちろん、各道路の幅や車線数、曲がった先の横断歩道の有無や道路の混雑具合までを、私は生活感覚の中で熟知していました。
その上私は、「左折する角の焼き肉屋はおいしい」みたいな生活情報や、「教習所に戻る坂道の上から一瞬川向こうの町が見えて、特に夜は町がキラキラ光っていてロマンチック」などというプチ観光スポット情報なども知っていましたので、路上教習は結構楽しいドライブでした。

何よりも、子どもの時に友達と自転車で走った道や、仲が良かった同級生の家や、小さい頃に母と買い物した商店街などを、自分で車を運転しながら巡っているのは、何か誇らしげな感じがしました。あれからずいぶんと時間が経ってしまったんだなと、妙にしみじみしながら運転をしたりしていました。
 
結局、教習期限の数週間前になんとか免許を取ることができました。
何度かの中断を挟んだために、結果としてずいぶん長い期間教習所に通っていたことになりました。だから、免許を取る頃には運転歴が長く、かなり運転に慣れていました。

 
ただ、教習所に通うのにお金を使い果たしてしまっていました。
だから、自分でジムニーを買えるのは、まだしばらく先のことになります。
 
[つづく]

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文:©青海 陽 2022

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読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀