「社会」に帰りたい ~入口と出口~
理解されづらい苦しみの中で自分以外に少しでも救われる人が居ますように。
そして自分の心の動きをいい思い出として振り返る日が来ますように
去年の5月。徐々に体調を崩していく。うまく眠れない、起きれない、過呼吸、動悸、涙が出てくる、食欲不振、思考回路の停止、希死概念
同棲を解消して一人暮らしを始めて半年、一人きりのあの部屋でわたしは
どうすることも出来なくなった。
家事ができない、布団から出られない、仕事に行けない
家族と知り合いの看護師さんに促されて精神科へ。
初診で必ず記入する体調不良の内容。ほぼ全てに当てはまった。
付いた病名は「うつ病」
結局区切りでもある3月末まで一度も出勤できずに職場を去った。
良くなったり悪くなったりを繰り返す日々。何でこんな簡単なことができないんだろう、何で治らないんだろう、病名に甘えているだけなんじゃないか
何もなくなったわたしは毎日家でそればかり考えた。考えたくなくても気付いたら考えている日々。
今年の6月ごろ再び急激に体調が悪くなった。怖かった。あの頃の自分に戻ってしまうんじゃないか、この一年の治療、休職が全て無駄になってしまうんじゃないか
お医者さんと相談して薬を変えて様子を見てを繰り返しながらじっと治ることを夢見て耐えた。
8月。ご縁があって以前同棲をしていた彼と結婚を前提にまたやり直すことになった。
一緒に住み始めて、彼も転職して仕事に行き始めた。
生活自体は楽しいし、体調も調子がいい。
そのうち弁当を作るようになって毎朝早起きをするようになった。薬も合う配合を模索してくれて日々平和に過ごすことができるようになった。
でも考えることは辞められない。何で日中起きていられないのか、こんなんじゃ仕事復帰できない、でも復帰したい、でも怖い、どんな仕事をしたらいいのか、そもそもこんな人間を雇ってくれるような場所があるのか、
毎日夜な夜な求人サイトを見あさる日々。
そして見つけた一つの求人。応募するかとても迷った。母に相談すると「働かないで一人で家にいるときの不安な気持ちは分かる。でも働けるのか不安なのもわかる。一回受けてみたら?受からなかったらまだその時じゃないって思ってもう少しゆっくりしたらいいよ。」と言ってくれた。
その言葉で受けてみようと思えた。
面接当日。すごく好感触で採用したいと言ってくれた。でもその後についての説明のときに休職してたことがバレた。(3月末まで在籍してたので履歴書には特に記入しなかった。)心臓の音が聞こえるくらい怖かった。
そのあと少しその話を聞かれた。
もうだめかもって思った。一応話進めてくれて、書類ももらったけど研修する日程調整の連絡は未だ来ない。
もしかしたら採用するか悩んでるのかも、取り消しになるかも、はじめから正直に言えばよかった?でもそんな自分が不利になるようなことわざわざ自分から言う?ダメならダメってはやく言ってくれ。
こうして徐々に食欲はなくなり夜眠れなくなり、自分の存在価値を見出せなくなる。助けてほしい。
考えすぎと思われるかもしれません。でもわたしのような考えに至る人もいると思います。日々、そんな自分との葛藤が脳内では繰り広げられていて、表面では「普通の人」を演じます。そんなわたしを褒めてほしいわけでも理解してほしいわけでもありません。ただ心の片隅にとめておいてほしい。
そう思う人もいるんだな、そのちょっとの気持ちがあるのとないのでは出てくる言葉は変わるはず。
ネットで「うつ病は治る」と書いてありました。確かに治るのかもしれない。でもそれは何年後?その間仕事は?お金は?生きていくためにはどうしたらいいんですか?やりたい仕事をあきらめなきゃダメなんですか?
まだまだ「社会」という場所は厳しくて出口は広いのに入り口はとても狭いように感じます。
そこで生きていかなきゃならない人々。社会に飲み込まれてしまう人々。立ち直ろうともがいている人々・・・誰もがスポットライトを浴びて存在を把握してもらえて助け合える社会になりますように。
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