見出し画像

「お前にはできない」の呪いを破る言葉

今日はちょっと重いけど大事な話、モラハラについて話してみたい。

モラハラ、モラルハラスメントとは、相手の自信を喪失させ、相手を支配しようとする行為。

お前はだめだ、無理だ、できるわけがない、そんなの通用しない、などの言葉はもちろん。

不機嫌な態度、無視、他人や親戚に対して自分のパートナーや子どもがいかにダメな存在かを話すなど…。

青豆は小さな頃から、毎日のようにこの否定のシャワーを浴びてきた。毎日否定されたり無視されたり比較される家庭環境にいたので、幼い頃の青豆は、「どうせ無理だ」「どうせできない」「私なんか」「私のせいで」とネガティブな自己完結をしてしまうところがあった。

でも、「私は親とは違う」「ここは私の居場所じゃない」と思うようになって、そこからはいかに親と違う生き方をするかを目標にしたようなところがあった。親を反面教師にしたのだ。

ところが…親のようにならないと心に決めたはずの青豆が、恐ろしいことに親そっくりの言動をしていることがあったのだ。

青豆は彼氏やパートナーに対して、思い通りにならない時にいつも、不機嫌になる、無視する、否定する、という行為をしていた。突然家出したり、行方不明になることもあった(笑)
パートナーが自分以外の女性を褒めるのを聞くと、胸が苦しくなったりした。


幼少期にどんな環境で育ったかは、大人になった時に大きな影響を与える。

特に恋愛や結婚でそれが出てきやすいと言われている。根底にあるのは「相手が悪い」そして自分は間違っていない、自分は被害者だ、という思い。

そのさらに土台にあるのは、「自信がない」だったんだ。自信がないから、無意識に相手を支配しようとする。


健全で安全な家庭環境が得られなかったり、関係性にアンバランスなものがあるところで長年育つと、その歪みがモラハラする側にも、される側にも出てくるのかなと思う。

モラハラをする側もされる側もどちらも経験した青豆は、なぜ自分がそんなふうにしか相手と関われないのか、ある時気がついて愕然とした。

普通のカップルみたいに、穏やかに対話できるようになりたいと思ったけど、思うことと実際にやれるようになることには、雲泥の差があって、相手を批判して心地よさを感じることがやめられない時もあったし、相手にひどいことを言われてるのにそれをヘラヘラ受け流しちゃう自分がいた時もあった。

モラハラって、本人は無意識で、むしろ自分は被害者だと思ってそれをぶつけてしまったり、相手より優位に立っておくために相手の可能性を否定して押さえつけておこうとするもので。


パートナーが、何か新しいことにチャレンジしようとした時に、無意識に飛び出してくるこの言葉。

「無理だと思うなぁ」「そんなに甘くないよ」「それでやっていけるの?」「絶対うまくいかないよ」

そんな言葉は、相手のことを心配しているフリをしながら、相手がチャレンジできないように押さえつけておく言葉だと青豆は思う。

新しいことにチャレンジしようとしている人に、今の青豆は「いいね!」と言うようにしている。どんなことも簡単には否定しない。

難しいことも、甘くないことも、挫折や苦しい経験があることもふくめて、その人のチャレンジであり、人生なのだ。

成功することだけが人生ではない。それより、人のチャレンジを応援できる自分でいたいし、可能性を開くお手伝いができる人でありたい。

人間はだれもが可能性の塊だ。

青豆は、不可能を可能にしてきた人をたくさん知っているし、青豆自身も何度も「不可能」としか思えなかったことを突破してきた。その時に、一番足を引っ張ったのは、自分の中に湧き上がる「無理だ」の声だった。

亡者のように、自分がたくさん浴びせられてきた否定の言葉がフラッシュバックしてきて、息ができない時があった。

でも、「できるよ」「あなたはできる」「必ずできる」と何度も言ってくれた沢山の人の言葉も蘇ってきた。

できるなんて、そんな安易に言えない、という人もいると思う。無責任な言葉だと思う人もいると思う。確かに無責任かもしれない。でも、その無責任な肯定の言葉と励ましのおかげで、今ここに青豆は存在しているのだ。

20代、ごく普通の主婦だった青豆は、ある日突然、犯罪者の妻になってしまった。そこから人生が激変した。無一文で離婚して、風俗嬢になった。人生にも自分自身にも絶望しかなかったけど、「あなたならできるよ」という無責任な言葉に励まされて、たくさんチャレンジしてこられたんだ。

風俗を卒業して、再婚もして、新しい仕事をして、コラムや本を書いて、企業様や全国で講演をさせてもらって、大学生になって、海外一人旅もした、また離婚したけど今度は占い師になった…(笑)

なんでもありか…(゚∀゚) アリなんだね。

不可能だと思った未来は、不可能ではなくなった。できるよ、応援するよ、の言葉は、無責任かもしれないけど人を救う言葉だと思う。

今もたくさんチャレンジしている。上手くできなくて、凹むときもあるけど、チャレンジするってことだけは、継続している。

そして、だれかが「こんなことやってみようと思うんだ」と言った時、「あなたならできるよ」と伝えるようにしている。

どうやってやるか、いつやるかは、その後の話なんだ。できるかできないかは、ここでは確定していないんだ。

モラ人間は、常に否定、文句から会話がスタートしやすい。世の中のあらゆる問題が立ちはだかっている。過去の私がそうだった。世界中が間違いだらけで、世界中が自分を傷つけてくると思ってた。

でも、本当は外側の問題ではなくて、自分の中の問題だったんだ。自分に地雷がたくさん埋まっていて、それがしょっちゅう爆発するだけだったんだ。地雷を踏むのは身近な人が多いけど、無数にあるから色んな人が踏む。

青豆は自分の中の無数の地雷撤去に何年もかかった。まだ完全撤去はできていないかもしれない。地雷が時々埋まっていることに気がつくこともある。爆発はしなくなったけど、不発弾が埋まってて、まだここにあったか…と思うことがある。

モラ気質は変わるのか?

青豆は変わると思う。なぜなら、今でこそ仏のようだなんて言われる青豆も、昔は鬼夜叉みたいな人間だったからだ。かなりの高度数でモラってた。モラついて自分の弱さを隠して相手に舐められないようにして、頑張っていた青豆がいたんだ。

それが、ここまで良くなった。それでも、たまにはプチモラついてる時があるかもだけど(笑)
その時は、ごめんなさい🙇‍♀️


モラ人間のままいくと、晩年に必ず孤独になる。モラついて身近な人(配偶者や子どもや友人や会社の仲間)を支配しようとしてきた人は、財産や肩書きや若さや美貌があるうちはよいが、それらが無くなった時に必ず人が離れていく。

青豆はそんな人をたくさん見てきたし、孤独な男性たちに風俗時代にたくさんお会いした。

でも元モラ人間が更生した姿も見てきた。本当に人生変えたいなら、必ず変われると思っている。

ただし、本人が変わりたいと思い、自分を変えるチャレンジをするかどうかだ。
青豆は、勇敢なるチャレンジャーたちに「あなたならできる」と言いたい。なぜなら青豆にも、そう言ってくれた人たちがいたからだ。

みんなに感謝だ。

メンタルヘルス協会の衛藤先生、モラハラの原因がすごくわかりやすく解説されていたので、ご紹介します✨(今回は男性についてですが、女性の場合もあると思います)


衛藤先生の講演会に一度だけ参加させていただいたことがありますが、本当に穏やかで元気をいただける話し方で、素晴らしい時間でした。

こういう人になりたいと思えるお一人です✨