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痛みは大事だった (つぶやき)

やたらと眠い。
ソファーで丸まって、noteを見ている間に何度寝落ちたことか。

どうしてこんなに眠いのかなと思ったら、しばらくして『つきのもの』がやってきた。明日は一年ぶりにプールへ行く予定だったのに。今月初めにやってきた『つきのもの』に一年ぶりの温泉を阻まれたばかりなのに。

こうして私は世の中に自分の生理周期を発信している。
別に恥ずかしくない。

数年前まで、『つきのもの』の訪れは、“痛み”によって私に知らされていた。
数日前から腰に痛みを感じ始め、イライラする。
数日間、誰彼構わず噛みつきたいくらいのイライラに精神が崩壊寸前になった頃、突然すっと憑き物が落ちたように心が穏やかになる。すると次の瞬間、やってくるのが『つきのもの』だった。
だから『つきのもの』が到来すると少しホッとする。
こころに一時の安らぎを与えられた次には、猛烈な腹痛がやってくる。
大きな円錐の硬い何かでズンズン下腹部を突かれるようで、この痛みをどうにか薬で抑えていた。

『つきのもの』の訪れにはこのような流れが生じるのは当然の儀式だと思っていたのだけど、ここ数年、毎朝欠かさず運動(骨を動かす)をしていたら、いわゆる「生理前症状」とは無縁になった。
骨盤の歪み、体全体の歪みを少しずつ直すことで、痛みから開放され、薬を飲むことも無くなった。

痛みからの開放がもたらした唯一のデメリットは、生理周期に乱れが出たときに“予兆”が無くなったことによって、気づけずに焦ること。
なんて贅沢な悩み。

痛みなんてこの世から無くなれー!と思うけど、昔テレビで見た、“痛みを感じられない”難病を抱えた子供が、遊びながら何度も体のあちこちを骨折して、いつでも命の危険にさらされているという特集を思い出して、「痛み」の持つ役割も受け入れなければな、と思う。

ここ数日私はストレスを感じていたから、今日はちょっと休憩。
noteの記事を読んでいると、ちらほら秋の気配を感じている方々がいる。
まだ私は秋を感じられていないけれど、割りと近くまで来ているみたい。

楽しみ。





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