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ドアを閉めて書け ドアを開けて書き直せ /ファシリテーション一日一話


昨日は新刊『君の物語が君らしく』の出版記念インタビューだった。読書会のファシリテーションはよくやるのだが、友人や大切な知人が本を出したときは、その出版記念イベントの進行役みたいなことも、よくやる。僕はまぁ、雑食のファシリテーターみたいなものなので、会議ファシリテーションを専門にしながらも、結婚式の司会から、井戸端会議の進行までやるのだけど。とりわけ、本を出すというのは、その人にとって大事な節目になる。そういう場の進行をお手伝いできるのは、ファシリテーター冥利につきる。本を書くというのは、けっこうな時間と労力のかかることだ。気持ちを込めて世に出した本の誕生を、ともに祝う場を持ちたい。

著者のあすこま、こと澤田英輔さんは、国語の教師だ。とりわけ、参加型で、能動的に学習者が文章を書いてゆく場をつくることができる素晴らしいファシリテーターでもある。彼が書いた『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』を読んでみると、いくつかのエクセサイズとともに、あすこまが人生をかけて獲得した、ステキなセンテンスが込められている。僕はそのいくつかを引用しながら、出版記念インタビューを行った。

豊かな孤独の時間

なかでもアメリカの小説家スティーブン・キングさんが書いていた「ドアを閉めて書け ドアを開けて書き直せ」の話は、印象的だった。文章を書くということは、孤独な作業でもある。自分自身と向き合い、自分の内なる声に耳を澄ます。外界からはいってきた刺激を自分がどのように観察し、受け取ったのか、どこに心が動いたのか、を丁寧に感じ、書き表す時間。その時間は「ドアを閉めて書く」のに相応しい。

ただ、文章というのは、ひとたび公開すると書き手を離れ、読み手の手元に届く。そういう意味で、一度こもって書いた文章も、誰かに見てもらい、フィードバックを頂いた上で書き直すのも、ありという話だ。「ドアを開けて書き直せ」。とアドバイスくれたのは、スティーブン・キングの先輩だったらしい。

作り手となる人は誰しも、孤独な時間、一人の時間を持つ。淋しく孤立した時間というより、豊かで味わいのある孤独の時間。そういう時間に、文章を書いたり、絵を描いたり、鼻歌をつくったり、作品を創造したりするのは、なんとも心地よい。

もったいない?

僕自身がファシリテーションをするときも、ずっと誰かと話している時間ばかりではなく「ソロの時間」を設けることがある。集団を離れ、一人になって、手元で何かをかいたり、外を歩いたり、心の内を味わったりする時間だ。絵を描いてもらったり、瞑想をしてもらったりもする。それが、ほんの数分であったとしても、そうやって「ドアを閉める時間」をもつことが、何かに繋がるシーンを幾度も見てきた。

若い頃、せっかちだった自分は「誰とも話さない時間なんて、もったいない」と思っていたが、それは浅はかなことと知った。ドアを閉めて書き、ドアを開けて書き直す時間を持つことで、人は自分の内側にも、外側にも、よきアクセスを持つことができると、今なら思う。

あすこま、いい本を出してくれて、ありがとう。


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