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なんの意味もない口づけとハグ。

我が家の風呂場にはボトルが5本ある。

1本はボディーソープ。これは共用。
そしてそれぞれのシャンプーとリンスが2本ずつ。

彼女は金木犀の、僕はオレンジのような柑橘系。

電気を消して、薄暗くする。

互いにハダカを見られることに抵抗はないけれど、二人で入る時はなんとなく電気を消す。キッチンから漏れてくる灯りが狭い脱衣所を経由して微かに届く。

築50年の昔ながらの風呂場。タイル張り。青と白と黒の大小形状様々なタイルが不規則に散らばる。一人でもやや狭い洗い場で二人で入ると自然と距離が近くなる。地面に並んだボトルから毎回しゃがんで手に取るのは面倒なので二人ともしゃがんで身体を洗う。

身体は各々で洗って、髪だけ洗い合う。

彼女の頭にお湯をかけるとふんわりとした黒髪が一列になった。彼女の金木犀のシャンプーを出そうとすると「今日は交換こじゃ」と僕の手をとった。僕は僕のオレンジの香りのシャンプーを彼女の髪に合わせてプッシュして、おでこのちょっと上らへんにペチャっとつけた。くしゃくしゃと泡立てるようになじませ、撫でるように滑らせた。肩まで伸びた黒髪。先端がちょこんと跳ねているのがなんだかとても愛おしかった。「くすぐったい」と嬉しそうに笑う彼女はやっぱり普通の女の子で、とても可愛いと思ったし、この頭からあの小説が出来上がるんだなと思うととても不思議だった。だって、本当に、小さくて、小動物みたいで、綺麗な形の頭をしているんだから。

ふと、目に入らないようにぎゅっと瞑っている彼女になんの意味もない口づけをした。彼女は一瞬ピクッとしたけど、すぐに受け入れ、何度かその、なんの意味も含みもないキスをした。

頭を流すと目を開けて、「次はうちの番じゃ」と自身の金木犀を僕の頭につけた。彼女は僕より2回りほど小さいので僕は正座を、彼女は膝立ちになった。乱暴な彼女の手つき、まるで動物でも洗っているかのようだった。意外と大きな彼女の手、細い指、そこから伝わるゴシゴシとする音が目を瞑った僕に丁寧に伝わってくる。

頭を洗ってもらう時、彼女の小ぶりな胸が僕の顔に近付く。同じボディーソープなのに彼女からは彼女の匂いがした。触れないように背中に力を入れているとそれに気づいた彼女は「触れてもええよ、別に気にせん、いつも言っとるじゃろ」と言って僕の顔を自分の胸に押し当てた。彼女の鼓動はとてもゆっくりで、静かで、とても丁寧に息をしている。

前髪、耳横、襟足。「あお、髪伸びたね」となぜか嬉しそうな彼女。「最初はツーブロックじゃったのに」「そろそろ結べそうじゃ」

しばらく目を瞑っていると、手が頭から離れていった。流すのかなと思ったその先に、彼女は僕の背中にそっと手を回し、グッと身体を密着させた。やっぱりそこにもなんの意味もなくて、ただの辞書的な「ハグ」だった。僕も彼女の背中に腕を回して同じくらいの力を入れた。すると彼女はもっと力を入れた。それがなんだか嬉しくて、しばらくそのまま目を瞑っていた。こんなにも性的な意味がないキスやハグがあるなんて僕は知らなかった。

二人とも流し終えると湯船に浸かった。四角い浴槽。やっぱり狭くて足を伸ばすどころか体育座りでないと難しい。僕らはいつも、僕が脚を開いて彼女がそこに小さく丸まる陣形で浸かる。とても窮屈だけどとてもフィットしていて、まるでそこにぴったり収まるために生まれた体格差にも感じられた。

僕が彼女の頭をそっとさわると僕のシャンプーの匂いがした。「俺ってこんな匂いなのかな」と言うと「多分そうじゃ」彼女は振り返って僕の頭に顔を当てて「うちの匂いってこんな感じなのか」と言った。「でもいつものあおの匂いではない」とちょっとだけ嬉しそうに。僕も嬉しかった。

二人で入る時、お湯はぬるめに設定する。

僕らは時々体勢を変えながら、仕事の話をしたり、明日の朝ごはんの話をしたり、最近読んだ漫画の話をする。

僕は基本的に彼女に触れないように手を自分の頭に回しているのだけど、彼女は「別に気にせんって」と口を尖らせ自分の胸の下あたりに持ってくる。「あ、こっちがよかった?」と手を胸に当て意地悪く言う彼女に「できれば」冗談ぽく返すと「10万な」とピッと水をかけられた。

お湯が冷めると僕らは上がる。

一枚の大きなバスタオルで互いを拭き合う。でもそこにやっぱり意味はなくて「カップル感」なんてものもなくて、ただ単に「1枚で済ませたほうが洗濯が楽」「時短」というだけだった。でも薄暗く、狭い脱衣所では第三的な雰囲気もあって、エロくも男女でもなく、言葉にするのが難しい、でも心地よい空気があった。

扇風機を回し、冷凍庫からアイスを出し、じゃんけんで勝ったほうがソファに座る。一人がけのソファチェアで、彼女がここに住む前に買ったものだ。今回は僕が買ったので座った。彼女は小さな折り畳みの丸いす。「ずるい」と口を尖らすので、扇風機を彼女の方に向けた。「これで手打ちに」と。

もう随分と暑くなった。

風呂上がりはエアコンも入れたほうがいいかもしれない。

彼女の部屋にはエアコンがないのでそろそろ模様替えも必要だ。

夏と冬のエアコンが必要な期間だけ僕らは1つの部屋を共有する。

「そろそろあおの部屋に引っ越しか」と汗を拭う彼女。

「そうだね」
「ウチがそっち行く前にエロ本、なおしとけ」
「最近はデジタルなんだよ」
「堂々言われてもな」


「今日は?」
「まだ平気じゃ」
「じゃ、おやすみ」
「ういー」




翌朝、起きると枕元から彼女の匂いがして、少しくすぐったかった。

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