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一度決めたら、やる。ただそれだけだ。

月が替わって5月になった。なんだかあっという間の1年間だったように思う。1年前のことはあまり思い出したくはないが、とりあえず必死だった、ということは確かだ。

このnoteももう3年目に入る。最初はなんとなくで続けていた日記のようなものだったが、だんだんと方向性が定まり、今のような形になっている。

noteのドメインパワーの力を借り、色々なワードを使い検索するとここが出てくるようにもなった。今日で何記事目になるだろう。数えてみたらなんとこの記事で350記事になるそうだ。

3年目にしては少ない気もするが…それでもひと月に0記事の月は一度もなかった。ずっとずっと書き続け、共感覚マガジンも100記事を超えた。

現在はこのようなビュー数とスキ数になっている。(毎回も言うがコメント欄は世界観を守るために途中から排除している)

いつの間にかこんなにもたくさんの人に見ていただき、スキも1万回を超えていた。このnoteは、私にとって財産だ。

noteの存在をきっかけに、私を検索で見つけてくれる人や企業がいる。そしてテレビ取材や大きな仕事の依頼に繋がるなど、色々なことが今起こっている。

毎日毎日ただの日記を書き続けていたらこうはならなかっただろう。「共感覚アーティスト」として言葉と絵で伝えながら、多様性とは、自分と見つめあうとは、にスポットをあてた、いわば特化型のブログとして動かしていたことによる成果だと言える。

なんでも積み重ねることの大事さを、最近しみじみと感じる。世間はGWとはしゃいでいるが私はnoteを書くことも、SNSを止めることもやめない。ネットで自分自身を運用していくということはそういうことだ。休暇などない。いらないのだ。

もともとサービス業界にいた私は、土日休みの概念がないからこそ容易にできるのかもしれない。なんとなくふわっと平日休みができる仕事に長らくついていると、世間の連休や土日を休日とすることに少し抵抗がある。どこへ行っても平日の方が空いているからだ。

今は自由にしているので、休みも自由だが、そんな働き方が自分には合っているし、365日動かし続けるものがあることも苦にならない。

テクニックだとか、アルゴリズムだとか、そんなものはどうでもいい。

結局人は人を見る。誰が言っているか、誰の言葉を見たいか。脳みそを動かして判断して欲しいとは思うが単純に「その人の発する言葉を見たい」という状態にするには、休暇などしている暇などない。

私は、そういった人間になりたいと思いこのnoteを続けている。

一度決めたら、やる。ただそれだけだ。

山口葵

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