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伝えたいことが、伝わらなくても。

共感覚を伝えに行く場に行けば必ず言われる「初めて聴いた」「聴いたことはあるけどよくわからない」の声。大半は前者で、私の説明で初めて聴いたという人がほとんどだ。

私が共感覚についての発信を辞めない理由は、続けることで必要な人に必要な情報が届き、それがオフライン上にも発展していき、親子だけでの理解だけでなく社会全体の理解、そして特に子供に関係するお仕事に従事されている方の理解を深めるためだ。

なぜならば、共感覚は色や形、味を別の感覚から知ることが出来るが、ということはいつもいつも綺麗な色や味を感じているわけではないという点に注目してもらいたいのだ。

綺麗な色が見える日もあれば、汚い色に世界が侵食される日もある。感じたくもないのに舌が不味い味を感じる。触りたくもない違和感のある形が手触りとして残る。

そういったように、共感覚には苦悩がある。しかし解決法もある。それを伝えたいから、「わからない」「初めて聴いた」人に私は、伝えようとしているのだ。

知っている人は何人いるのだろう、もうわからない…。

知らない人に、伝えることの大切さや、共感覚アートという私の一つのパフォーマンスを知ってもらうことで、結果的には未来を担う子供たちが生きやすくなる社会を目指すという、壮大なものなのだ、これは。

うまくいかない。
それが続くこともある。自信がなくなることもある。

伝えて、本当に伝えられているのか?
正しく、教育機関まで届けることが私にできるのか。

生きづらさを抱える共感覚の方に、こうすれば楽になるよと伝えていくことが本当にできているのか。

横たわって考えていても、何も変わらないのだ。それでも私は「伝えることを辞めたくない」。ここで諦めたらおしまいだ、だって私以上に共感覚を伝えようと発信するインフルエンサーなんていないじゃないか。

私が辞めたらいけないんだ。そこで終わってしまうんだ。

苦しいが前に進むしかない。いつか、どんな特性を持つ人も生きやすくなる社会になり、その中に共感覚が含まれるような、そんな未来のために。

山口葵

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