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私の受けてきたDV被害について

まず、久しぶりのnoteがこのような内容になり申し訳ございません。

色々と事情があり、自分の受けてきたDVについてまとめようと思いました。書けない部分もあるのでそこは身を守るために端折ることもありますのでご了承ください。

少しバイオレンスなことを書くのでそういうものが苦手な人は読まないようにお願いいたします。

元夫と結婚したのは2009年12月12日。数年は喧嘩をしても手を出されることは一度もありませんでした。しかし、思い返すと口喧嘩から首を絞められたことや、床に押し倒され棒を(何の棒だったかは忘れましたがパイプのような細い物でした)首元におさえつけられたことはあり、今思うとあれもDVだったな、と思いました。

本格的な暴力が始まったのは、2013年。私が慌ただしく過ごしている頃でした。大変疲弊もしておりましたので、家事がうまくできなかったり、元夫の「相手」を出来ない日も多く、そんなことより寝かせてほしい、という日々が続きました。

少しでも部屋が散らかっていると別人のように怒鳴りだす元夫とは、喧嘩も多くなり、ある事情で休職中だった私に対し「飯を食って糞を出すただの家畜と変わらない」と罵倒されたこともありました。

リビングに元夫、二階の寝室に私がいる状態でLINEで言い合いをすることが多かったですが、ヒートアップして何も言い返せないようになると、元夫は大きな足音をたて寝室までやってきました。

そして髪の毛をひきずりリビングまで連れていかれ、殴る蹴るの暴力と大きな罵声を浴びせました。顔を見ると「目つきが気に入らない」とさらに殴られました。

そういった日はその時期は日常的にあり、一番よく覚えているのは殴る蹴るをしたあと、私のお気に入りの茶碗を割られ、私にめがけて生ごみの入ったゴミ袋を蹴りつけました。リビングは生ごみでとても臭いにおいがし、気が済んだのか「片づけておけよ」とだけ言って、元夫は寝室へと行きました。

私は泣きながら、震えながら、その割られた茶碗と、生ごみの処理をし、元夫が寝静まってからそうっと寝室へと行きました。

また別の日は、きっかけは覚えていませんがとても大きな声で元夫が怒っていました。そして物を蹴り上げ、リビングの窓ガラスに蹴りつけると、窓ガラスは音をたて割れてしまいました。それは2回ほどあり、そのたびに私は近所のガラス屋を呼び、ガラスを変えてもらい、修理代を支払いました。

その時は借家に住んでいたのですが、周りはとても静かで窓ガラスが割れた日は台風でした。なので、「周りに聞こえなくてよかった」と私は思いました。2回目の時の天気はあまり覚えていません。

家を出るというと「今すぐすべての荷物を持っていけ」と無理難題を課され、出られませんでした。「ある事情」で、私は元夫から離れることができませんでした。経済的な理由ではありません。家の収入を支えていたのは基本的に私で、元夫はその頃だけは正社員でしたが基本的にアルバイトをしていました。

私が仕事をすることを条件に、結婚してくれる人を求めていたため家事などをすることができる元夫は結婚相手には好都合でした。ただ、このようなDVをする人とわかっていればもちろんしていません。見た目は人当たりのいい、子犬系のような人です。ニコニコと愛想よく客人に振りまいた日の夜に私に痣が付くほど殴るようなことは日常茶飯事でした。

パートで働き始めてから、職場だけが唯一の砦となりました。DVのことを2人ほどに相談しており、私がよく痣を作っているところや、足を引きずって出勤しているのを気づいては、心配してくれました。手当をしてもらったこともあります。

当の元夫はパートに出てからも相変わらずで、休憩中に電話をかけてきたと思えば「弁当の米の量が多すぎる、ふざけているのか、今からお前の職場に殴り込みにいってやろうか」などと、電話をしてくることもありました。今思うとその時に、殴り込みにきてもらい、職場の人たちに捉えてもらったほうがよかったのかもしれません。

DVと聞くと「なぜすぐに逃げないのか」と被害者は責められることが多いように思いますがDVには、このようなサイクルがあります。

引用元:DVの特徴

どれだけ暴力を受けてもこの「開放期」には全くの別人となり、暴力をうけたあとに無気力・判断力が低下してしまった脳には「ああ、これでいいのかも」と思ってしまいなにも出来なくなってしまうという、一種の洗脳に近いです。

そのせいで押し倒され首を絞められても、「助けて」と叫び笑われても、次の日の無性に死にたくなる期間に元夫が開放期の状態に戻るので何もアクションを起こせませんでした。

私はこれを5年ほど続けていましたが、ある日ある女性との関係を怪しんだ私がそのことを訊ねたところ逆切れ、大暴れしたのちに土下座をさせられ背中の上に足を乗せられ蹴り飛ばされました。その時、ついに離婚を考えることができました。

それまでは、信じられないかもしれないですが「きっと家族としてうまくやれる」と思い込んでしまい、やはり爆発され暴力を受けるという繰り返しをしていましたが、この「土下座をして足を置かれた」という屈辱は私の中の何かがぷつんと切れたようでした。

離婚について前向きに進め始めてから、それでも暴力は続きました。合計で7年ほどで、家族との話し合いをしてからも、暴力は続きました。足を引きずり玄関に放り出され、仕事道具のカメラと、稼いできたお金が入った封筒と身ごと放り投げられた時は本当に本当に悲しく感じました。

頬を加減がきかないままにつねられ、口の中から血が出たのは、私の両親に「もう手を出すのはやめてくれ」「はいわかりました」などと話し合いをした数日後でした。口からの出血を拭いていると元夫はすぐに私の父に電話をかけ、なにやら暴力をふるったことを自白しているようでした。

唯一このDVのサイクルに負けずに行っていたことがありました。それは痣の写真の記録や、色々なところに相談しに行ったことです。

私は市役所、女性相談所に足をはこび何度も何度も相談しました。その相談は、記録としてしっかりと残されています。当時はみんな離婚はまだ我慢しろなどというので「誰も助けてくれないんだ」と諦めていましたが、記録がきっちりとあるということや、痣の写真などを撮っていた自分自身が今、強い味方となってくれています。

離婚後に言い合いになり、ボイスレコーダーで記録しようとしたところ、家の前の道に私のスマホを投げつけられたこともありました。うちの家族と話し合い後は暴力を一切していません、などと周りには言っているそうです。

私の腕や足に痣があったことを知っているのは、義理の母親。義理の妹。元夫の元職場の人間。私の元職場の人間。など。義家族はしっかりと目でも見ています。それをみた義理の母親は「この子の父親にばれたらどうするの、怒られるよ」と言ったこともはっきりと覚えています。警察に言うということを伝えたら、「え、あいつ捕まるの?笑」と笑っていたことも忘れられません。

ああ、ここに私の味方は誰もいないんだ、と察し逃げるという選択をしました。最初は半々の生活をしていましたが、生活が厳しく家に自分の生活を切り詰めてでもお金をずっと入れ続けていましたが、DVによるPTSDが悪化し休職することになりました。

お金を入れることができないと知ると私は追い出され、家に近づけなくなりました。それが、2021年の出来事です。その頃は元夫は私のお金頼りで正社員を辞め、きままにアルバイトをしていました。

私は「ある理由」から警察に言うことだけは躊躇ってしまいましたが、もし今DVを受けている方がいるならば何よりも先に警察に連絡するのが良いと思います。

DVは犯罪です。傷害罪、重い場合は暴行罪となり、10年以内でしたら被害届を出すことが出来ます。

証拠として、痣の写真や、なにをされたかを市役所・区役所などに相談、日記などに記録していくことも忘れないでください。必ず助けになります。

義家族や実親に幸せだと思われていたいため
子供の親を犯罪者にしたくないため
世間の目にさらされるのが恥ずかしいため

色々な理由から、警察に行くことを選ばない人がいます。私もそうでした。ですが、「あなたの命のため」あなたの尊重されるべき人権のために、私は警察に行ってほしいと願います。

殴られたり暴言を吐かれた後「自分なんてこの世に存在しなくていいのではないか」という絶望感に襲われますが、そんなことはありません。悪いのは全て殴る人間であり、あなたは悪くないのです。

殴った人間は「口答えをしたから」「日々の態度が悪いから」などとあなたを殴った原因にすることでしょう。私も「私以外で殴ったことなどない、お前が悪い」と言われましたが、元夫も私も初婚ですし、そんなことはどうなるかわかりません。

DV加害者は人のせいにする天才です。そして洗脳の能力にも長けています。

これらはすべて当時の記録してあるものから書いており、元夫も【認めている事実】のみです。被害妄想や統合失調症などと何も知らない部外者から言われたこともありますが医師から診断されたことは一切ありません。そもそも、他人には全く関係のないことですが、事実と違うことを赤の他人に吹き込まれていると困るため、事実を書き記しておこうとこの記事を書きました。

私にあるのは、昨日のことのように思い出されるDVのフラッシュバックというPTSDと、それらが起因のひとつとなっている不安症だけです。記憶力もいいので間違ったことはいっていませんし、なにより都度記録したものも手元にあります。この記録と共にDVについて悩んでいる人に届き、何か勇気を出す一歩になれば幸いです。

私は今後も、DV被害者として声を上げ続けることを辞めるつもりはありません。一人でも多くの方が救われますように。


山口葵

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