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「良い風が吹く」と、夜空を見上げた。

長い時間のように思えたつらい時期が過ぎ去っていったように感じる。先月私は救急車に運ばれ2日間だけ入院し、心配や迷惑をかけてしまった。

心も体も限界で、なにより心をうまく保つ方法がわからなくて試行錯誤していた。やりたいこともうまくできず、自分がどうなりたいのか、今誰と話してるのか、なにがしたいのか、全然わからなかった、というか覚えていない。

極限まで追い込まれて、そしてまた浮上した。

ああこの感覚は人生の中で何度目だろう。もうこれで最後にしてしまいたいなと思えるほどに、今回の「極限」は苦しかった。

ご飯も食べられなくなって、大切な人たちすら信じられなくなって、なにがほんとうかわからなくなって、正解なんてどこにもないんだろうなぁとぼんやり考えていたのだろうか。

正解は何か、とずっと探していたように思う。私は自分のnoteを読み返したりしないのでわからないけど、きっと探してた。

でも目の前をいつのまにか涼しくて気持ちいい風が吹いてきて、私は正気を取り戻した。何が正解かなんてわからないけど、わからないままでいいんだよと自分を抱きしめて言った。

とってもつらかった。
とってもくるしかった。

そのつらさや苦しみが全部全部ぬぐえたのかと言われれば、まだだろうけれど、今日の風は気持ちが良いし、それを感じて気分がよくなったから、きっと私の求める「正解」は、こうやってのたうちまわってふっと風が吹いた時に、気持ちいい方向へ進んで生きていけばいいのだろうと、そう思ったんだ。

急がなくていいから、今は目の前の一歩をゆっくりと、転ばないように、踏み込んで進む。そしてまた風に誘われながら次の一歩も歩み出していけばいい。その先に答えがある。そんなふうに感じた。

私がいつも言っていて、いつも大切にしている「ありのままでいること」を、見失うとこんなふうに極限に陥って苦しむことになる。ありのままでいるというのはとても体の力が抜けて心地いいはずなのに、それを保つのは意外と大変で、いつのまにかがっちりと体がこわばって力んで生きてしまっている自分になっている。

そうだと気づくのも、自分の力だけでは足りなくて周りの人たちの言葉や行動に気付かされることのほうが多いんだ。

きっとその人たちだって、寂しかったり、つらいこと、心や体が痛かったり、もう立ち上がれないって泣いてしまう夜だってあるはずだ。それなのに優しくてあったかくて、こんな私が立ち上がれるよう手を差し伸べてくれる。

もうこんな歳になっても支えてもらう人たちがいて、その人たちが幸せになるようただ願うばかりだ。

先日の中秋の名月を思い出しながら見上げた今日の夜空は雨上がりで、星空も見えない街中だけれど、風が心地いいから、もう大丈夫。

私の歩みはまたゆっくりとありのまま、進めるはずだろう。


山口葵


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