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記事一覧
共感覚記事ハイライト
共感覚記事が多くなってきたのでわかりやすくまとめました。ここに載せていないものはマガジンより読めます。
共感覚マガジン共感覚の発信をするきっかけになった出来事
【人気記事】ディスレクシアと共感覚による弊害の小説の読みづらさの克服実践
共感覚とディスレクシア議事録
私が伝えたいこと
共感覚と【思考】
共感覚アートについて
共感覚の生きづらさを無くす方法
私の共感覚について
共感覚と
共感覚アート個展の実現に向けて
ライブペイントの舞台を終えて、次の目標が何もないのは嫌なので、来年中に個展をやろう!と考え動き始めた。
都内で小さなギャラリーを借りて、土日2日間くらいの小規模なものを行おうと考えている。まずは場所探しということで、インスタで「共感覚アートを受け入れてくれそうな街」とアンケートを取り、1~2位になった地域に絞って探してみている。
やはり都内、値段もそこそこにするところばかりで予算との兼ね合いも
アクリルと水彩【共感覚アートメモ】
「どんな色が見えるのか気になるから描いてみてよ」
友人にこんな風に言われ描き始めた私の共感覚アートは、デジタルアートからはじまった。
iPadを持っていなかったので、使っていなかったMacbookを売ってそのお金で購入した。ペンはApplepencilを買う余裕がなかったので3000円ほどの、スタイラスペン。
それが私の一番最初の筆とキャンバスになった。
最初は色を描くだけだったが、よりア
音に包まれる色は描きやすい【共感覚アートメモ】
共感覚アートは、感情・人やものへの印象・音楽を色にしてアートとしていくが、描きやすいものと描くのに時間がかかるものがある。
私の共感覚は思い出すと脳に色が浮かぶというものが多く、人やものへの印象は特にそれらの反応を示す。感情は一時的にその色に溺れるような感覚になるが、あくまでもその一瞬、その感情を持ち合わせている時に限る。
その時その時の感情自体を都度再生するというのは共感覚を持っていない人間
12/3COLORFUL大阪に出演しました
3日に大阪にて、COLORFULというイベントに出演してきた。
密着取材のテレビ局の方にも引き続き来ていただいて、賑やかな1日だった。私は舞台に立ち、ライブペイントを行った。
悔しいことに、何か月かに及んだ嫌がらせのストレスでずいぶんと太ってしまった醜い体を全国に発信してしまうことが気がかりだが、これも生身のドキュメント…ということで生暖かく見守ってほしい。
アートは、メインは音楽をもとに描
今日のクラブサイエンス「共感覚」の感想
こんばんは。山口葵です。
今日はクラブサイエンスで共感覚についてのお話でした。私も共感覚を持っているので、その話を序盤に少しだけしました。緊張した~
今まで「共感覚」という名前を知らずに幼少期から、それが当たり前の感覚だと思って生きてきて、最近になってその言葉を聞くようになり「これなのか」とわかった次第でありました。
共感覚と一言で言っても、人によって本当にさまざまで、同じ感覚を持っていたと
ロ(ろ)と口(くち)の境界線ー共感覚研究協力
今回も前回同様、京都大学にて行われた共感覚研究協力について書き留めておく。
研究ではカラーチャートと文字や名前を使い、1文字にどの色が見えているかチャートから選んで書き込んでいくものだった。カラーチャートは大きくずっしりとしていて、赤や青ひとつにも細かな種類のものがあった。
また、色を感じない場合はそのように書くよう言われた。実際に銀色のような透明のようなそんな文字が私もいくつかあった。
共
共感覚と「脳」の個性
少し前の話になるが、京都大学で共感覚研究協力をしに伺った。テレビ局の方も来ていただき、私自身色々と不明だったことの質問も聴くことができた。
共感覚で最も多く記録されているのは私の持つような色と繋がる共感覚だそうだが、ふと疑問に思うことがあった。
「なぜ、そういった共感覚が起こりうるのか。」だ。
初歩的でかつ重要な部分を私はなかなか見つけることができなかったので、質問をすることにした。答えとし
伝えたいことが、伝わらなくても。
共感覚を伝えに行く場に行けば必ず言われる「初めて聴いた」「聴いたことはあるけどよくわからない」の声。大半は前者で、私の説明で初めて聴いたという人がほとんどだ。
私が共感覚についての発信を辞めない理由は、続けることで必要な人に必要な情報が届き、それがオフライン上にも発展していき、親子だけでの理解だけでなく社会全体の理解、そして特に子供に関係するお仕事に従事されている方の理解を深めるためだ。
なぜ
【共感覚アートを紐解く】「緊張」の色は決して綺麗とは言い難い
また1週間も間が空いてしまった。書けない、書けるを繰り返すこの変則的な私の記事を、読んでくれる人に感謝を伝えたい。
昨日は人生で初めての出来事がありとても緊張した。共感覚アーティスト山口葵としての活動が、そんな方向に広がると想像できなかったので未知の世界だった。結果はどうあれ、私の中ではとても貴重な体験だった。
その時の緊張をぜひ絵にしてほしい、と言われたので描いてみた。
これが昨日の私の感
【共感覚と自己理解】音で色を観ながら、違いを感じる
アートのように描く私の文章は突然書けなくなる。感覚的文章なのだ。
というのが、noteの更新を休んでいた言い訳。また少しずつ書いていこう。
とあるコンペに参加し、共感覚アーティストとしてテーマに沿った絵をこの間から20枚ほど描いている。人の印象とは違い、随分と描きやすく感じる。
そこで感じた興味深い、ある「違い」を記録しておこうと思う。
「愛」をテーマに5枚の絵を描いてほしいと依頼されたと
「自分のために」生き、「自分のために」死なない。
最近、感情の共感覚アートを描けていない。時間を決めて描こうか、しかし心を揺さぶられることのあまりない在宅中心の今の私からは、たいした変化のある色は出てこないのではないだろうか。
前にもそんなことを言っていたような気がする。どうせ暗い色しか出ないだろうと思って描いたら思いのほか「希望」の色が見えていたということ。
もう、2年前になるのか。2年前は孤独と痛みとの闘いだった。心身を痛め、それを真っ向
怖がることは何もない。もう、一通り経験したのだ。
共感覚の絵を何カ月もかけ、やっと手元に送ることができた。まだ送れていない人も今週中には送れるだろう。人の印象で共感覚アートを描くということの大変さを知った私は、受注再開の見通しは立てない。待たせる間の心苦しさは、余計に絵を描けなくさせた。
その代わり自分の感情を描いたアートを多く描いて、今年中に一度くらいは展示会に出展したいなあ。いいところがあるといいけれど。
グループ展ではなく個展もやってみ