山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者

感情や音を見て色を聴き、感覚の壁を越えた世界を表現する共感覚アーティスト¦言葉と共感覚…

山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者

感情や音を見て色を聴き、感覚の壁を越えた世界を表現する共感覚アーティスト¦言葉と共感覚アート™️で共感覚の認知を広げ、どんな特性を持つ人も生きづらさのない社会を目指す。共感覚当事者¦不安症PTSD闘病中¦京都大学共感覚研究協力¦お仕事・取材依頼はSNSのDMへ

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【共感覚を言葉と絵で伝える】山口葵PROFILE

◼️山口葵について💎公式Webサイト: 💎PROFILE: 三重県お伊勢さん生まれ。 写真屋の父、油絵画家の祖父を持ち、幼い頃の遊び道具は紙と鉛筆とカメラ。 カメラの道には行かず美容の道に進みヘアメイクをしていたが、フォトスタジオでメイクとして働き始め、そこでフォトグラファーも兼ねて働くようになる。 独立後、フォトグラファーの仕事をしながら趣味のPCを活かしたWebライティングや SNS運用などで業務を拡大し、しだいにトータルWebの仕事をこなすように。 共感覚を深く

    • 「いつもと変わらない」が欲しい

      「いつもと変わらない」をしていないと不安になるところがある持病なので、今の仕事が合っていることに今更気づいた。 いつもと変わらないことは、尊い。 元旦から大きな地震があり日本中がパニック状態だ。いろいろな情報が飛び交うがそれが必要な人もいれば、見れば見るほど滅入ってしまう人もいるだろう。私はXでは最初のニュースと募金のリンク以外、何も拡散や共有はしないと決めた。 私のフォロワーさんの中には持病がある人が多くいて、それでもポジティブに時に落ち込んだりしながら毎日を過ごす人

      • タイトルのない雑記

        慌ただしくも平穏な日々が流れる。 新たに始まった仕事は、半月温めていた緊張をよそに驚く程に居心地がよく働きやすい。自分の今までしてきたことが評価されここに居られるのだから、今まで以上に力を発揮させよう。 個展については来年度の休みがまだはっきりとわからないために、少し間が空いているが、今の仕事が慣れて余裕が出来てからでいいだろうから、11月くらいを目標にしてみようかと思う。 それまでに体型も戻しておかないと。 …と、ここまで書いて2日前に眠ってしまったみたいで、下書き

        • 共感覚アート個展の実現に向けて

          ライブペイントの舞台を終えて、次の目標が何もないのは嫌なので、来年中に個展をやろう!と考え動き始めた。 都内で小さなギャラリーを借りて、土日2日間くらいの小規模なものを行おうと考えている。まずは場所探しということで、インスタで「共感覚アートを受け入れてくれそうな街」とアンケートを取り、1~2位になった地域に絞って探してみている。 やはり都内、値段もそこそこにするところばかりで予算との兼ね合いもあるが、譲れない部分もいくつかあり、それらを全てうまく落とし込めるような場所で共

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        • 自分らしく生きること
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          なんのとりとめのない日記

          今日はなんのとりとめのない日記を書きたい気分なので、そうする。 このnoteのタイトルは「葵のありのままnote」で、日々思ったことをありのままつらつらと書き綴っていて、あくまでも思考整理のメモ帳としてしか扱っていないので、これから先も有料にすることはない。 言い切る口調の癖からか、昔からああでもないこうでもないと言われがちな私の文章は、「もうそんなら、読みたい奴だけ読め。」というスタンスを17歳の頃から貫いてきた。 書いたことに対し、何かを言われたりするのもなんとなく

          アクリルと水彩【共感覚アートメモ】

          「どんな色が見えるのか気になるから描いてみてよ」 友人にこんな風に言われ描き始めた私の共感覚アートは、デジタルアートからはじまった。 iPadを持っていなかったので、使っていなかったMacbookを売ってそのお金で購入した。ペンはApplepencilを買う余裕がなかったので3000円ほどの、スタイラスペン。 それが私の一番最初の筆とキャンバスになった。 最初は色を描くだけだったが、よりアーティスティックに表現の幅も広がっていった。なんとなくぼんやりと観ていた共感覚で

          音に包まれる色は描きやすい【共感覚アートメモ】

          共感覚アートは、感情・人やものへの印象・音楽を色にしてアートとしていくが、描きやすいものと描くのに時間がかかるものがある。 私の共感覚は思い出すと脳に色が浮かぶというものが多く、人やものへの印象は特にそれらの反応を示す。感情は一時的にその色に溺れるような感覚になるが、あくまでもその一瞬、その感情を持ち合わせている時に限る。 その時その時の感情自体を都度再生するというのは共感覚を持っていない人間でも容易ではないのではないだろうか。 となると、今の感情でないアートを描こうと

          音に包まれる色は描きやすい【共感覚アートメモ】

          私と猫とDVと

          猫2匹を引き取った。4歳の姉妹。離婚前に子猫の時に保護して暮らしていたのだが2年ほど会えない月日を経て、また一緒に暮らせるようになった。 離婚後、私というサンドバッグを失った元夫は物や動物にあたるようになった。殴りはしないものの大声をあげて怒鳴ったり首を掴んでキレ散らかしていたようだ。(本人が言っていた) それでなくても日常的に怒鳴り声の聞こえる家に、ずっとケージに入れられ滅多に出してもらえず2匹くっついて暮らしていたようだった。 その事実を知ったのは離婚後で、女ができ

          12/3COLORFUL大阪に出演しました

          3日に大阪にて、COLORFULというイベントに出演してきた。 密着取材のテレビ局の方にも引き続き来ていただいて、賑やかな1日だった。私は舞台に立ち、ライブペイントを行った。 悔しいことに、何か月かに及んだ嫌がらせのストレスでずいぶんと太ってしまった醜い体を全国に発信してしまうことが気がかりだが、これも生身のドキュメント…ということで生暖かく見守ってほしい。 アートは、メインは音楽をもとに描いた。大判のキャンバスにめいっぱい描いたのだが、サイズは初めてのサイズで、アクリ

          「あの時ああしていれば、」

          引っ越しからもうすぐ1ヶ月が経ち、慌ただしかった生活も落ち着いてきた。前よりもずいぶんと広い今の部屋はとても居心地が良くて毎日を快適に過ごしている。 少しだけ人間らしくなった私は、数年ぶりにこの地に立って息を吐く。一人で考え事をする時間も増えたが、忙しい時間も増えた。 色々な人生の分岐を思い起こすことも増えた。 あの時ああしていればこうならなかったのか、とか あの時同じ選択をしてもいきつく先は同じだっただろう、とか 「後悔」もたびたびする。もう少し我慢できていればまだ

          ロ(ろ)と口(くち)の境界線ー共感覚研究協力

          今回も前回同様、京都大学にて行われた共感覚研究協力について書き留めておく。 研究ではカラーチャートと文字や名前を使い、1文字にどの色が見えているかチャートから選んで書き込んでいくものだった。カラーチャートは大きくずっしりとしていて、赤や青ひとつにも細かな種類のものがあった。 また、色を感じない場合はそのように書くよう言われた。実際に銀色のような透明のようなそんな文字が私もいくつかあった。 共感覚者の認識する色は様々な要因から引き出されている。響きやイメージ、形など。

          ロ(ろ)と口(くち)の境界線ー共感覚研究協力

          共感覚と「脳」の個性

          少し前の話になるが、京都大学で共感覚研究協力をしに伺った。テレビ局の方も来ていただき、私自身色々と不明だったことの質問も聴くことができた。 共感覚で最も多く記録されているのは私の持つような色と繋がる共感覚だそうだが、ふと疑問に思うことがあった。 「なぜ、そういった共感覚が起こりうるのか。」だ。 初歩的でかつ重要な部分を私はなかなか見つけることができなかったので、質問をすることにした。答えとしてはこのようなことだった。 色と他の感覚を繋げる共感覚は、脳が何かを識別する時

          私と「山口葵」

          今日からまたnoteを再開していこうと思う。 地元に引っ越してきて半月が経ってきた。この地にいる時の私はまだ「山口葵」じゃなかったから、自分の中で整理するのにこんなにも時間がかかってしまった。私なようで、私じゃないようで、どう落とし込めばいいのかわからないと、SNSもいつもよりすこし更新が滞ってしまっていた。 きっと、いや確実に私だったはずの山口葵が、地元に住んでたころの私とズレが起きていて、なんだかちょっと遠い存在になっていた。つかみどころがなくて、どうやって「これ」を

          なんでもない日

          なんでもない日が終わっていく。 たった4年間の私のここでの生活が終わって、また新しい生活へと変化する。 この4年間は、いいことばかりではなかった。 いや、いいことのほうがほとんどなくて辛いことばかりもう一生ぶん体験したのではなかったかと思うほど痛みを伴う毎日だった。 いつしかそれが私の「なんでもない日」になっていって、だけど辛さは変わらなくって、ある日ふとどうしてここにいるのかわからなくなって、私は痛みに耐えられなくなったのかもしれない。 4年間ここで、誰かを待って

          掌から溢れ落ちる記憶たち

          ほろほろと消えゆく記憶の中で、淡々と毎日が過ぎていくばかりで私はただ時の流れに揺蕩うことしか出来ないでいる。 今月の頭に東京に行った。 ある人に会って、そうしたら、その帰りあたりから変な「違和感」を覚えるようになった。 DVから逃れ名古屋に家を借りて4年近くになるが、その名古屋での生活が丸ごと「別の人の体験してきたこと」のように感じて、違和感があるのだ。 私は今までどうやって生きてきたのか。 何を思い、何をして、「山口葵」を作りあげたのか。 私がしてきたことはなんなの

          「良い風が吹く」と、夜空を見上げた。

          長い時間のように思えたつらい時期が過ぎ去っていったように感じる。先月私は救急車に運ばれ2日間だけ入院し、心配や迷惑をかけてしまった。 心も体も限界で、なにより心をうまく保つ方法がわからなくて試行錯誤していた。やりたいこともうまくできず、自分がどうなりたいのか、今誰と話してるのか、なにがしたいのか、全然わからなかった、というか覚えていない。 極限まで追い込まれて、そしてまた浮上した。 ああこの感覚は人生の中で何度目だろう。もうこれで最後にしてしまいたいなと思えるほどに、今