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不安と緊張の学童初日

4月1日。娘、学童初日。
環境の変化に弱いので大丈夫かしらと親の方が緊張。
前夜にポツリと、学校行きたくないなぁとこぼす。学校はまだで明日は学童なのだが、これまではそんな事を全然言ってなかったので、直前になり不安が高まったのかもしれない。
私も緊張してきてなかなか寝付けない。

娘も普段より寝るのが遅くなってしまい、朝はいつもより早いので眠そうで機嫌もいまいち。食も進まず、出がけにぐずぐずしつつも慌てて出発すると、玄関を出た途端に涙がポロポロ。

近所の人と待ち合わせて学童に向かう間も、娘だけ涙。着いてからも号泣。
お世話係の2年生が手を引いてくれると、少し落ち着き、こちらに手を振り返せるほどになった。

その後どうなったかヤキモキしながら仕事していたけれど、夫がお迎えに行くと、楽しかった!友達できた!と笑顔だったとの事。
ホッ。

私は朝の出発がこれまでより早かったので、洗濯物も皿洗いもできず、仕事を終えて家事を片付けるとぐったり。あまりに怠いので熱を測ると、気疲れしたのか微熱。ここの所疲れのせいか微熱が続いている。

今日の娘を見て本当に色んなことを感じ、勉強になった。また一つ貴重な経験だった。

周りは誰も泣いてないけど一人で号泣してる娘。
私も子どもの頃から不安が強かったけど、私に似たのかなぁ。
そして、はたからみるとわりと普通に色々できてるように見えるけれど、ちょっとできないことがあると凹みやすかったり、不安が強いんだろうなぁとか。そういった特徴は、そのまま鏡のように自分に跳ね返ってくる。

翻って自分に目を向けると、仕事で環境の変化が大きく、それについていけていない自分がいる。

自分自身の環境の変化(育児との両立が困難で思うように働けなくなった)も、会社の環境の変化(事業拡大に伴い人の入れ替わりも激しく、古参は減り、新しい人が活躍してるなど)もあって、部署では社歴が最も長くなってしまったけれど、ほそぼそとしか働けず、周囲からは色々と気を遣われ肩身が狭い。

若い時は右肩上がりで成長していけるイメージしかなかったけれど、歳をとるにつれ、色々と限界が見えてきたり、むしろ衰退しているように感じられることも増える。ここ数年、下り坂をいかに下がるかという経験を積んでいるけれど、いつまで経っても難しい。

活躍とまではいかなくても、以前の頑張っていた自分のセルフイメージからなかなか抜け出せずにいて、没落貴族か都落ちかみたいな切なくやさぐれだ気分になりがちだけれど、今日改めて、皆それぞれ、目の前のその時できる事を粛々とやるだけだよな、そこに意味合いをつけてるのは自分だよなと改めて思った。

また、やらなくていいことや反応しなくていいことにまで過剰反応して勝手に一人で疲れてるのも自分だよなとか、自分の弱い部分、人に頼ったり相談することの苦手さとか、弱みを見せられずかっこつけてしまう所とか、根っこに隠しきれない繊維さという線の細さというか神経症的な所がある事とか、どうしても娘を見てると自分の姿を見出す時がある。

そして自分では向き合えなかった自分の弱さに、娘の弱さを通じて向き合えたというか、第三者的にその弱みを見た時に、それって大したことじゃないなぁと改めて思った。

弱さを受け止められなくて、克服しようとしてしまう自分がいるけれど、克服せずに真正面から向き合ってみると、そんなに悪いことじゃないというか、皆それぞれ弱さを抱えながら、頑張ってるよなという気持ちになった。

こう思える瞬間は時折訪れ、けれどまた忘れてしまって弱さに苦しむ瞬間があったりするけれど、自分の弱さを少しずつ自分自身で受け止めていきたいなと思う今日だった。

娘よ、色んな経験を本当にありがとう。

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