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前橋市民になりたい。20230424mun316

1401文字・10min

★写メは「群馬県庁」です。


前橋市立図書館の内庭

怒っているわけではない。

悲しい。

群馬県の前橋市の図書館と伊勢崎市の図書館のぼくの所見だ。

ぼくは群馬県伊勢崎市生まれだ。

祖父は市会議員を二期、務めた。

祖父の同期の、元伊勢崎市長は、つつじとサクラで有名な華蔵寺公園に北関東でいちばん背がたかい大観覧車が設置されてあるにもかかわらず、自宅の庭から見える位置に観覧車をもう一個建てたい(つまり私生活で休日に自宅の庭から大観覧車を眺めたい)として、伊勢崎市内の某所に、伊勢崎市第二観覧車計画をぶちあげた。
当たり前だが、議会と全市民にボコられた。

ググると、でる。

マクラを書く。

統治する側は、文化水準(あるいは野蛮さ)によって国家の法律は性善説と性悪説に偏る。

北欧先進国は死刑はない。その国家文化水準が下がっていくとどうだろうか?

中国、アフリカ、北朝鮮はどうだろうか? 場所によっては少数民族の弾圧(大量虐殺)がある。

僕はよく前橋市立図書館を利用するが、図書館側と揉めたことは一度も、ない。

前橋市立図書館には「泥棒! そこのあなたは見られています!」というポスターは貼られていない。

伊勢崎市全域、そのポスターはある。目のポスターが。

問題は、実際に伊勢崎市全域にポスターは貼ってあっても、自転車のライトはちゃんと盗まれる。僕は部品を破壊されて、律儀にパンクまでされて、盗まれた。

全国の図書館で言えば、東京、京都と完璧な性善説だ。イタリアのローマもそうだった。中国の北京語言大学や上海交通大学のキャンパス内も、だ。

どこも市民ファーストだった。

そういう図書館となにか問題があった場合は「あ、僕が間違ったのかも」とまずこちらが考えさせられる。それは図書館サービスがしっかりしているからだと思う。

伊勢崎市は、それはまったくない。
市民を信用していない。
僕は伊勢崎市民でありながら、肌でありありとそれを感じる。

今日は前橋市立図書館が休みだったので、やむなく伊勢崎市内にある小さな図書館にきた。

前日には前橋市の図書館で無料Wi-Fiが繋がったので訊ねた。

「うちにはそういうことはしておりません」
(そういうこと? そういうサービスでしょ?)

僕は席に座り、自分のケータイに繋いだ。

すると市民ホールから「JIMUSYO」なるルーターから電波が飛んでいるのをパソコンはキャッチする。ざっと20はある。

自分のケータイに繋いでいると、

女の職員が、駆けつけてきた。

「だから、繋がない規則になっておりますので」

「(だから? )自分のケータイならいいんですよね」

「ホールのWi-Fiもここからは禁止になっています」

(ホールのWi-Fiも? )よくわからん説明だった。

「ホールのWi-Fiもここからは禁止になっています」

という言葉が出るということは、彼女は僕に暗に、

「ここからも繋がりますよ」と自白しているようなものだ。過去に何か問題があって繋がれては困るだろうか。

「ホールのWi-Fiもここからは禁止になっています。電波泥棒はしないでください」

 と言われているようで、僕は悲しくなる。
確かに色々な人はいる。だがそれは聞いちゃあいけないんじゃないか? 
寅さんに言わせたら「それを言っちゃあおしめえよ!」なんじゃない?
市民を信用する姿勢の問題として。それが性悪説なんじゃないかな。

 前橋市民になりたい。強く思った。

 これ以上は書かない。解釈は皆さんにお任せする。

 読者はいかん?


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