年齢を1番気にしていたのは、自分だった話。
親戚や知り合いの人といっぺんに会う機会があった。
本来なら嫌な集まりは、その後友人と遊ぶ約束をしていたので、そこまで苦痛といった感じではなく、非常に感情が凪いでいた。
「あら!久しぶりね!」
遠い親戚の叔母が話かけてきてくれた。
コロナで随分会ってなかったし、遠い親戚とはいえ小さい頃からよくしてもらっていたので嬉しくて私も話していた。
「もういくつになったの?」
「へへ…実はもう30過ぎまして…」
と曖昧に自分の年齢を濁していたのだ。
すると横からきた別の叔母が
「3○歳よ!」
と言う。
心の中の私
(え!?誰に許可をとって私の年齢を公表してるんだ!?ってかまだ誕生日来てないから違うし!!)
私としては年齢不詳でいたかった…。
30過ぎてもこんなに元気に若々しくしてます!みたいな、そんなキャラをどこか理想にしていたのかもしれない。
「はははは!今年でですね、今年で!!」
なぜか強調する私。
簡単に言うと、他人に自分の年齢言われて思いの外ショックを受けている自分。
なんだか恥ずかしい自分がいた。
そのことに対して何だか1日モヤモヤしてしまい、腑に落ちない気持ちが残った。
私の正確な年齢を言った叔母はただ、年齢と言う数字の羅列を言ったのかもしれない。
ハキハキとした性格もあるし…。
でもよくよく考えると、1番気にしているのは自分であり、受け入れてないのも自分なのだ。
『年齢なんて関係ないよ』
そう他人に言うのは易く、自分自身のこととなると難しい。
本当に難しい。
何だかんだ、自分より若いと「無限の可能性が秘められている」ような気がして正直羨ましいなと思う。
あるアーティストが「自分は31歳でもう若くもない年齢になってきた。自分の為ではなく、社会的に役割のある音楽を」
※一部省略、変更してます。
そう立派なことを言っている。(あ、彼の音楽めちゃ大好きです。)
こ、こんなん31歳なんて若いよ!?まだまだだよ!?
私文章書き出したのその年齢過ぎてからだよ!??
よく目にする文かもしれないが「今の自分が1番若い!」をモットーに、元気に生きていくしかないのだ。
過去は変えられないし、あの時選択しなくてよかったと思う瞬間もある。
案外、年齢を受け入れて生きていくのは難しい。
人生時計の話を書いておいて何だが、まだまだ修行が必要そうだ。
私はまだ昼間、昼間、これからこれから。
これからを後悔しないために、生きていく。
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