aoikara

中卒フリーライター。在宅お仕事。 noteは好き勝手なこと書く。

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マガジン

  • 「#お題」

    「#〇〇」で出されるお題について書いたnoteをまとめます。

  • なんでもない出来事を書く日記

    毎日書きます。スケジュールはハードルを高く。内容はハードルを低く。

  • 何度でも読み返したい自分のためのnote

  • 「好き」ノート

    「好き」をまっすぐに伝えるのは恥ずかしいので、なぜ「好き」なのかじっくり考えをまとめるnoteをまとめます。

  • 小説

    たまに小説書きます。

最近の記事

なくてもいいけど、あったらうれしい

なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章を書いている、aoikaraです。 なくてもいいけど、あったらうれしい、そんなものがたくさんある。私にとっては、たとえばパンとか。最近でいえば、たまに飲むコーヒーだとか。そして人にとって、文章なんてのも同じで。 もちろん、必須にだってなり得る。人間には食事が必要で、パンも食事だし。人間には飲み物が必要で、コーヒーは飲み物だし。人間には言葉が必要で、文章は言葉だし。 でも、代わりがある。パンがなければお菓子を食べればいいじゃな

    • おいしかったから、またコーヒーを飲もう

      週に1、2度のコーヒーを楽しんでいる、aoikaraです。 胃腸が強い方ではなく、カフェインが刺激になることもあり、普段はコーヒーを飲んでいない。10年くらい前、インスタントコーヒーにハマって毎日飲んでいたときもあるけど、今は昔。 たまに、数ヶ月に一度とか、カフェなどに行ったときに飲む。飲むと、「うーん、コーヒーだ!」と、アホみたいな感想を抱く。普段コーヒーを飲まないので、くわしい違いなんかはわからない。ただ、味は知っている。昔、感じたことのある感覚を脳が思い出すように、

      • 弱さを知っているから寄り添える

        弱いところだらけな、aoikaraです。 ドラマ鑑賞が趣味で、2024年4月クールもいろんなドラマを観ている。そのひとつが「アンメット」。杉咲花さん演じる脳外科医が主人公。彼女は記憶喪失で、ある時期から新しいことを記憶できず、一日が終わって眠ると、前日までの記憶を忘れてしまう。新しく覚えたことは全て日記に書いていて、早朝に起きて今日までの日記を読み、記憶を保管して、一応は医者として、とはいえ医療業務はしないで病院で働いている。 それでも彼女は医者として、自分の記憶喪失を受

        • がんばっていないのも自分だし、がんばっているのも自分

          最近なんだか調子がいい、aoikaraです。 なんだか、不思議と調子がいい。たしかに、調子がよくなるように自分ができることは続けてきた。やり続けてきて、結果が出るタイミングがこれでもかというほど重なるので、ちょっと怖くすらもある。 調子がよすぎて、どこかでこけそうだな。調子が悪くなりそうだな。調子が悪くなったとき、また舵を戻せるのかな。 悪い状態だと不安が続くのに、良い状態でも不安になる。というより、自分で不安を作っている。 うまくいかないときに「なんて自分はダメなん

        なくてもいいけど、あったらうれしい

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        記事

          変わっていこう

          同じような毎日を送りがちなaoikaraです。 現状維持が心地いい私は、ついつい現状に甘えてしまう。変化を求めず、同じことを繰り返すことに安心感を覚えてしまう。 でも、私が変わらなくても周りは変わる。周りというのは人とか、社会とか、世間とか。変わらないことが置いて行かれた理由なんだと思うから、変わろうと思って、変わってきた部分もある。でも、安心するとそこに居続けるクセは残っているように感じる。 とはいえ、半ば強制的に変わる、変えられることもある。自分が普段使いしていたも

          変わっていこう

          0→1していない

          1から10まで順番に並び替えているような、aoikaraです。 ライターなんだけど、0→1のような文章を最近書いていない。たとえば、きっとnoteなんかは0→1だろう。この1は、圧倒的に“自分”だ。書いていない私は、自分自身に今興味がないのだろうか。自分自身を文章にすることに意欲がないのだろうか。とにかく、0→1をしていない。 書いているのは、最初に書いたような、1から10までのバラバラの数字を順番に並び替えているような作業。作業、という言葉の響きはポジティブでもネガティ

          0→1していない

          書いてみている

          書いてみている、aoikaraです。 noteの更新が月に1回ほどになっていて、月刊誌のようになっている。レア感と文章力は比例していない。むしろ書く頻度が落ちれば文章力は落ちていくだろう。 と、書きながら、書いている手が止まってしまっている。 自分の中でいろいろと考える性格なのは未だに変わっていない。考えすぎて眠れなくなることもある。だけど、アウトプットしなくても、自分の中で消化できるようになりつつある。 眠れない日があっても、たぶん次の日には眠れる。眠れば、だいたい

          書いてみている

          平等とは、平等じゃないと気づくことから

          書こう、と思った、フリーライターのaoikaraです。 最近にしてはとても珍しい。肩書きの「フリーライター」を復活させてみた。仕事を満足にできていなくて、「ライター」なんて名乗っていいのだろうか、と思って外していたのだけれど、そもそも初めて読む人には誰なんだよと思われそうなので、フリーライターですと名乗ることにした。今のところ。また気分が変わるかもしれない。 私は、私として生まれてきて、困っていないことも、困っていることもある。私のさまざまな属性の中で、マジョリティ側で属

          平等とは、平等じゃないと気づくことから

          熱を帯びているのは、心か、体か

          また久しぶりになってしまった、aoikaraです。 1ヶ月と1週間ほど、noteとはご無沙汰になっていた。とはいえ、何も書いていなかったわけではない。仕事でも書いていたし、プライベートでも書いていた。 プライベートといっても、文章を書いていたわけではない。メッセージを書いていた。サクラのバイトとかではない。サクラではなく、私個人として、いろんな人とメッセージしていた。出会う気はないのにマッチングアプリをしていた。 出会う気はない、はちょっと虚勢を張っているかもしれない。

          熱を帯びているのは、心か、体か

          フラットなグレー

          白か黒かはっきりさせたい、aoikaraです。 0か100ともいう。100にならなければ、いっそのこと0でもいいや、という境地になってしまうこともしばしば。 グレーでもいいじゃん、70でもいいじゃん、というのは頭ではわかっている。それでも受け入れ難いと感じてしまう。 だけど、フラットに「それはグレーだね」と伝えてくれる人がいた。 私がすごく緊張していたことがあって、実際に取り組む前から怖がっていた。「緊張していたけどやってみたらよかった!」となるか、逆に「やっぱり嫌だ

          フラットなグレー

          平熱が下がり気味

          熱っぽくなることが減ってしまった、aoikaraです。 身体的な意味でも、精神的な意味でも。コロナ禍で対策を万全にして、今でもマスクを必ずしていて、リモートワークだから家にこもりきりで生活していると、まあ熱が出ない。ちょっと体調を崩すことがあっても、熱が出ることはほぼない。 本題は精神的な意味での“熱”。熱中する、ハマる、沼る、推す……というような熱を帯びた昂ぶる感情になることがすごく減ってしまった。本当にほぼない。いや、熱っぽくなるのはあるのだけど、持続しない。すぐ冷め

          平熱が下がり気味

          健診とつり革と私

          痛いのが苦手な、aoikaraです。 痛いのが好き、という人はいるかもしれないけれど、まあ多くはないので、わざわざ「私は」と言うまでもないかもしれない。 健診ってなんで痛いんだろうね。痛くない健診もあるのかな。なんたって健康が第一だから、不健康ではないか調べる健診は大事なんだけど、むしろ遠ざけようなんて思わないけれど、でも痛いのは嫌だよね。私は嫌だ。 細胞をこそげ取られるんだから、痛い。そのときも痛いし、その後は痛みがなくてもだるさは残る。出したくないものだって出てくる

          健診とつり革と私

          悲しい

          悲しい。ただただ悲しい。自分が大切にしていたものを、大切にしてもらえなかったら、守ろうとするし、決して攻撃にはならないようにという思いがあってのことだっただろうに。 その苦しさや悔しさやを他人の自分が言葉にするのは、言葉にした瞬間から憶測でしかなくて、わからない。だから、言葉にできるのは自分の思いだけ。 自分の思いなんて、表に出さず心の中で言いたいだけ言っていればいいとも思うし、自分の中で抱えられないなんて自分の事情でしかなくて、というのも言い訳で、というのも言い訳で。

          ドラマはチーム

          ドラマをよく観ている、aoikaraです。 仕事でドラマの紹介記事などを書くし、毎シーズンどんなドラマがあるのかチェックして、気になる作品は観て、気に入ったら観続ける…というのをもう何年もしている。サブスクも充実するようになって、過去の作品が観られるのもうれしい。 ドラマが好きだからこそ、原作者の方の思いが尊重されなかったという話を知り、とても悲しくなった。原作が好きだからこそ見始めた作品で、ドラマでも原作を尊重していると感じていて、面白いと感じていた。だけど終盤にかけて

          ドラマはチーム

          逃げてもいいというけれど、どこに逃げたらいいんだろう

          人生で割と逃げてきた、aoikaraです。 逃げるというよりかは、立ち向かってみたけど、ダメで倒れて気を失って、そしてら周りには人がいなくなってた、みたいな感覚。能動的に逃げたというより、心の限界で体が強制終了させられような。 つらいことに直面した人に対して、立ち向かうよりも、逃げていい、という論調がある。私もそう思う。別に全てに闘わなくていい。勝たなくていい。負けていい。全然、逃げていい。 でも、どこに逃げたらいいんだろう。 逃げていい、逃げたらいいと言うのは簡単だ

          逃げてもいいというけれど、どこに逃げたらいいんだろう

          私は何が書きたいんだろう

          一応、ライターのaoikaraです。 一応、確定申告しているので。一応、お仕事しているので。 一応、と後ろめたいような前置きしてしまう。ライターと名乗る人が書いている文章を読んで、これはこの人だから書ける文章だ、この人が書きたい文章だと強く感じた。私は、どうなんだろう。何が書きたいんだろう。わからなくなってきてしまった。 思えば、あまりnoteを書かなくなった。昔はブログをたくさん書いていた。いつの頃か「ブログが書けない」と感じた。きちんと形になった文章を書かなければ、

          私は何が書きたいんだろう