多汗症の話

中学生の頃から、急に苦手なことが増えた。

教室での授業、全校集会、電車の中、閉鎖的で人の多い空間。
つまり、学生時代のほとんど全ての環境が苦手になってしまった。

その理由は多汗症。
それに加えて視線恐怖症もあった。

多汗症にはいくつか種類があり、局所タイプ(脇や手のひらなど)と全身タイプがある。

私の場合は、頭部がひどい全身タイプだった。

ちょっと暑いだけで滝汗。
暑くなくても滝汗。
誰かに見られてるような気がして滝汗。

さらに、一度滝汗を経験すると「同じ状況でまた滝汗になるのではないか」という不安が生じる。

体育の後の授業中は滝汗になるかも → トラウマ → 滝汗100%
5月の電車内は暑くて滝汗になるかも → トラウマ → 滝汗100%

みたいなイメージ。

すると、あっという間に毎日が怖くなる。
汗が中心の生活で目の前は真っ暗だった。

いつでもどこでも「汗」が気になる。
汗をかかないことが最重要で、かいた後のケアもその次に大事。

一方で、全然暑くない時でも汗をかいてしまうのが恥ずかしくて、バレたくなくて汗を拭くことができなかった。

制服では汗がわかりやすく、Yシャツがびしょびしょになってしまう。
ポタポタ垂れてくる。
でも拭けない。もうバレてるのに。
手にタオルがあっても、やっぱり拭けない。

「あいつ汗やばくね」「くさそう」「キモい」

何度言われたかわからない。
でも、聞こえないふりをして笑っていた。

休み時間ごとに早足でトイレに駆け込み、個室で仰ぎながらさらさらシートで全身を拭く日々。惨めだった。

学校生活は、みんなと同じ空間で、同じように過ごすことを強制されるから辛いことも多かった。

それでも隣にいてくれた友人たちには感謝してる。
爽やかにキラキラ輝くみんなが羨ましくて仕方がなかったけど。

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思えば、あの時は誰にも本当の自分を見せる勇気がなかった。
あまりの汗の量に友達さえも引いており、人を心から信じられなかった。
全員が敵に見えた。
「生きててごめんなさい」って思ってた。

そんな誰にも打ち明けられなかった汗の悩みを、一度だけ母に相談したことがある。
「そんなの普通だ」と言われ、ショックだった。
もう二度と人に相談などしないと誓った。

学業の面でも悪いことは起こる。
授業をまともに聞けないから成績が落ちた。
高校受験も、大学受験も(浪人後の受験も)全くうまくいかなかった。

多汗症になってから、外界ではいつもボロボロで、自分の部屋だけが安らげる場所だった。

音楽を聴いて、おやつを食べるひとときだけが私が私に戻れる唯一の時間だったように思う。

当時の私の救いはBUMP OF CHICKEN芋けんぴだけだった。
その両方が、今でも大好き。

今の自分のルーツはそこにあるのかもしれない。

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絶望ばかりの13年間を過ごし、気づいたことがある。

理解してくれる人が稀に現れる。
「私が欲しい優しさ」をくれる人が必ず現れる。
その人にもらった愛をちゃんと受け取り、そして返す。

一番の解決策は、シンプルにそれだけだった。

人に苦しんだはずなのに、最終的には人に救われることになった。
自分の弱さで解決の糸口を自ら遠ざけていたことに気づいた。

今では多汗症とうまく付き合うことができている。
良き理解者と、自分を開示する勇気を持てたおかげで、日常に光が戻った。


悪いことばかりに見えた日々の中でも、学びはあった。

人の視線を気にするうちに、人の表情を読むのが得意になった。
困っている人へのアプローチ方法をよく考えて行うようになった。
自然な気遣いができるようになった。

そういえば、あの時から「優しいね」とよく言われる。

そうか、私は優しくなるための練習をしていたのかもしれない。
未熟なばかりにずいぶん時間がかかってしまった。

これからは、誰かに寄り添える存在になりたい。

多汗症の人はやさしいと思う。

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