見出し画像

僕達の人生にSNSは要らない

皆さん、こんばんわ蒼葉レイです。

普段は大学生の視点でお話するZ世代のSNS事情や不登校を経験した自分だから話せる教育やメンタルの話を発信しています。

今回はそもそもSNSは本当に必要だったのかという視点から、SNSを辞めるでもSNSは絶対に必要という結論でも無い2024年の大学生だから考えられる新たな人生の選択肢を考えてみようと思います。


人生で親しくなれる人は300人、友達は30人、親友は3人

ここでの問いはそもそもそんなに人は人生で多くの人と関わる必要があるのか、又はそんなに多くの人と親しくなれるのかという事です。

僕のXのフォロワーは1500人以上いますが、実際によく知っているのは20人くらいでしょう。

貴方の場合はどうですか?

思うにSNSの炎上の本質とは「数10万人、数100万人」に届く事の弊害だと思います。

そこには主に2つくらいのポイントがあります。

一つは広告収益を目的に拡散を狙ったり、拡散されてゆく事に承認欲求や快楽を覚えるという「拡散狙い」のパターン。

もう一つは内輪のノリが思った以上に拡散され、その文脈や関係値を知らない人が叩くパターンです。

一つ目の場合は投稿者に過失がある「バイトテロ」や「私人逮捕系」のようなケースもありますが、二つ目はそこまで過失が無くともそれ以上の炎上が起こってしまう事があります。

特に二つ目の場合は対策がかなり難しい。

ここでこの章のタイトルに戻りますが、私達が本来理想とするべきは拡散よりも「同じ価値観を持つ人達」に絞ってリーチ出来る事なのかなと思います。

拡散される事や再生回数がフォーカスされすぎる事が昨今の拡散を狙ったバイトテロや私人逮捕系に繋がっており、「再生回数よりも大切な事は何か考えておくべき」かもしれません。

貴方は世界を変えられない、出来るのは貴方の人生に集中する事だ

誰でも発信出来る世界は誰しもが社会を変える影響力を持つと勘違いしがちですが、個人で変えられる世界ではありません。

この世界は多くの人々の複雑な関係値で成り立っていて、それぞれに立場と都合を抱えています。

それを否定する事は誰にも出来ないでしょう。

SNSでは正義病という事があります。

相手の立場や都合を無視して貴方の正義を他人に押し付ける事を正義とは言いません。

ならば出来る事は目の間にいる人を幸せにする事が出来るかどうか。

社会という曖昧で複雑なものを変えようとするより、目の間の人を幸せにする方がよっぽど社会貢献です。

自分の力と自分の考えを過信するべからず。

僕が人生で大切にしたい言葉です。

人生にSNSはいらないけど、

そもそも絶対に必要なモノなど、そう多くはありません。

SNSが無くても貴方は幸せになれます。

その上でSNSとどう向き合うのか。

SNSは便利で、場所の制約を逸脱して新しい人間関係から新しい価値を創造出来ます。

本来のSNSの目的はこれです。

大切な事はフォロワー数よりも誰と繋がり、何を生み出すのか、その手段です。

SNSがある時代も無い時代も人生でやるべき事は変わりません。

貴方と貴方の大切な人の人生が幸せであり続ける事を祈ります。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?