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鬱の先にあった自分らしい幸せ〜不登校から大学生になって分かった事

皆さん、こんばんわ蒼葉レイです。

普段は大学生の視点でお話するZ世代のSNS事情や不登校を経験した自分だから話せる教育やメンタルの話を発信しています。


不登校からの受験だったからこそ

僕は蒼葉レイのSNS発信で不登校の事を発信するようになって、「自分がマイノリティ」である事を認識しました。

不登校になった自分も、実際にそうなるまでは自分がそんな選択肢を選べるとは思っていなかった。

いくら、学校に行きたくなくても、長期間行かない事が許される訳が無いと考えていたから。

しかし、そんな選択肢を選ばざるを得なくなった僕は、通信制高校に転学し、学校に囚われずに自分の判断だけで受験に立ち向かう事になりました。

そんな自分は「自分らしく、不登校のブランクを乗り越え、普通に学校に通っている人に勝ちたい」と思うようになっていた。

自分の選択肢が間違っていた訳ではない事を受験の成果で示したいと考えていました。

また、これは受験だけではなく、SNSで影響力を持つ事もその一つ。

自分の生き方が自分なりの正しさだという事を受験の結果、SNSで影響力を持つ事で達成したいという思いが僕のエネルギーになっていました。

戦いの先に幸せにはなれなかった

このエネルギーだけで長期間戦う事は自分のメンタルをすり減らしてゆきました。 

受験は長期戦であり、復讐に近いような自分の社会に対する反発だけで努力し続ける事は難しかった。

また、SNSでは日々数百人の方にいいねを押して貰えるようになったけど、いつまで経っても安寧な幸せは訪れない。

今まで10人にしかいいねを押されなかった時から80人にいいねを押されたらそれは成功だが、100人にいいねを押されるようになった後の80いいねはもはや成功ではなくなる。

常にハードルは上がり続け、終わりの無い戦いに一喜一憂する日々だ。

そこで、自分は幸せについて考えた。

「自分はいつか安心出来る居場所を見つけ、戦いを終えられるのか」。

僕は戦いたいのでなく、何かと戦う事で自分の生きる意味を見出していた。

押し付けられる理解の無い社会の悪意とどう向き合うのか、僕は母が亡くなった小学生の時からずっと考えてきた。

そして、僕は受験を迎えた。

僕は大学に進学出来たが、本当の所、完璧に想像した未来との乖離もあった。

幸せの条件

幸せになれるのかは意外と他者に依存している所もある。

自分らしくいられる空間を作る事や一人の時間を作る事を僕も大切にしているが、ずっと一人でも一年くらい経つと不安が訪れる。

僕は通信制高校生として一人で過ごす時間が長かったので、それを正に体感した。

一人が苦痛なのではなく、一人でいる事で何の為に生きているのか見失うのだ。

つまり、幸せとは自分が望む最低限の生活環境をベースに、自分の人生に意味を持たせる生きがいや自分に価値があると思える自己実現があるという内的要因に加え、「自分を受け入れ、その存在を肯定してくれる居場所」があるという外的要因が合わさって形成されていると思う。

貴方は今、幸せですか?

僕はまだ分からない。




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