幸せになる為の必要条件を不登校や鬱を経験して学んだ
皆さん、こんばんわ蒼葉レイです。
今日は「幸せになりたい、救われたい」と思う私達にとって何が必要なのか、不登校や鬱を経験した自分だから話せる視点から考えてみようかなと思います。
幸せのハードルを下げる
世界で最も読まれた書籍を皆さんはご存じでしょうか?
それは「聖書」です。
つまり、人は歴史上、数えきれない人々が「幸せになりたい、救われたい」と思ってきたという事です。
ただ、それから多くの時代が過ぎ去った現代でもまだ幸せになり切れない人々で溢れています。
ただ、自分は不登校を経験する中で「他人から押し付けられた価値観のハードル」が人生において幸せの邪魔をしていた事に気づきました。
そもそも「幸せ」になる為に大切な事は「幸せのハードルを下げる事」なんだと思います。
よく「足るを知る」という言葉を聞きますが、今以上に求めるのではなく、身の回りにある事物に満足する人は精神的幸福を得るという老子の言葉は現代においても普遍的な真理だと感じます。
なので幸せになる為の最初のステップは幸せの基準は他人が決めるものではなく、自分が決めるものだという意識を持つこと。
そして、「自分」が今、求めるものは何なのか、自己分析を進める。
自分は自分が大切にしたい価値観は何か、どんな環境なら安心できるのか、そんな事を考える中で自分が求めることが理解出来ました。
それは「自分の価値を認めてくれる優しい人達が周りにいて、自分が無条件にそこにいて良いと思える居場所」です。
鬱の人が求めているのは束縛からの自由と自分を受け入れてくれる居場所
自分はずっと学生時代、「自分が面白いと本気で思っている事を表現する場所」がなかった。
それは周りの反応を気にして自分の価値観を発信する事の反響を気にしていたからだと思うし、周りを信用出来ていなかったからかもしれない。
ただ、僕の場合はSNSを続けていく中で自分が何に価値を見出しているのかの解像度が上がったし、自分の信じる価値は自分だけのものでも、価値の無いものでもないと知る事が出来ました。
そして、不登校の時期から時間が経ち、通信制高校に進学してからは自分の不登校の経験を表にしても大丈夫だと思えるような仲間を手に入れる事が出来ました。
その時に自分は他人からの視点から押し付けられる価値観による束縛と自分を受け入れてくれる居場所に出会えたと思っています。
今、僕たちは幸せ?
ここまで幸せについて語ってきた自分は一見、幸せになれたようにも見えますが、まだ道半ばです。
というのも、自分の今の生活はまだ親を含め、様々な人に守られていたり、大人からの恩恵で成り立つものであり、完全に独立した幸せを掴む為の居場所を作れていません。
これを読んでいる方は僕よりも過酷な環境に生きる人も多くいると思います。
今は自分の心を他人の雑念・悪意に侵食されない事を意識しましょう。
これから自分は自分と同じ悩みを持つ人達と自分らしくいれる居場所を作る為に戦い続けます。
今はお互い耐え抜きましょう。
いつか僕が幸せでいて欲しい人達が幸せになれる日を目指して。
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