ぼくとピアノ(2)

以前書いた(1)はこちら↓



ピアノは僕に居場所をくれた。

そして、人生に色とりどりの色彩を与えてくれた。

僕は、運に恵まれた幸せ者だとつくづく思う。

そして、ピアノはこれからも僕を新しい場所へ導いてくれると信じている。

ピアノに全く興味がないどころか、男でピアノ弾くことが恥ずかしくてダサいことだと思い込んでいた自分が、10歳で母に嫌々連れられて近所のピアノ教室へ体験レッスンを受けて以来、今ではピアノを教えたりコンサートに出演するまでになった。

ピアノが運んできてくれた出会いや喜びもあれば、ピアノがもたらした涙も別れもある。

とはいいつつも、僕は毎日毎日ピアノのことばかり考えて過ごしているわけではないし、将来ピアニストになりたいと一度たりとも考えたことがない。(プロのピアニストの凄さが身に染みて分かるからかも?)

僕にとってピアノは安らぎであり、救いであり、そして、人と繋がる架け橋のような存在だ。

僕は本当に運が良い。

ずっと続けるぞ!と意気込むことなく、周りのおかげで気づけばピアノを始めてから13年経っていた。

本文では、「ぼくとピアノ(1)」の続きから書いていきます。



目標としていたショパンの「幻想即興曲」をピアノ発表会で披露し、10歳の終わりから5年間通ったピアノ教室を辞めた。中学3年夏のこと。

以降、高校受験の勉強やらでほとんど半年間ピアノには触れず、たまに息抜き程度に触っていたくらいだった。

中高一貫の高校に入学したものの、高校からは20人しか入らないため、ほとんどが中学から上がってきた内部生で既に人間関係が出来上がっており、最初の1〜2ヶ月はあまり馴染めなかった。

でも、何を考えていたのか僕は新しく話す人、話す人に「バンドを組みたい」とアピールをしていた。

それが功を奏したのか、全然話したことのない内部生の4人からバンドに誘われ、高1の6月に見事バンドを結成することになった。

だが、僕のパートはなんとキーボードではなく、ベースだった。

というのも、僕はただバンドを組みたかったのと、内部生たちはベースを探していたので、結果的にお互いが納得してそうなった。

ギターの一人が僕にベースを貸してくれて、それからベース教室に通い、なんとか見よう見まねで演奏した。

ただし、キーボードが必要な曲をする時は、二人いたギターのうちの一人がベースを担い、僕がキーボードを弾いていた。

こんな感じで、高校に入ってから早速新しい形で音楽に関わるようになった。

また、高校1年の2学期、クラス全員でとあるコンテストに、同級生の一人が作詞作曲をした歌を全員で合唱した動画を応募しようということになった。

そこで彼が作った歌を元に僕がアレンジをしてピアノ伴奏をすることになった。

(結果、その動画はコンテストで見事グランプリに輝いた。)


同じく高1のとき、辞めたピアノ教室の恩師から卒業生として発表会に出てほしいと提案されたため、快く承諾し、ショパンの「別れの曲」を弾くことに決めた。 

結果的にその発表会はピアノ人生最大の失敗に終わるのだが、詳しくは前に書いたのでこちらを読んでいただければ。


こうして教室を辞めてから1年間の間にピアノによって新たに世界が開けたのであった。

こうして書くと僕は、高校に入ってすぐに馴染んだように映るが、実際はその真逆だった。


高校に入ってすぐの1学期の終わり頃から僕は高校から足が遠ざかった。

僕は、当時15歳だったが、不登校がちになり、家にも学校にも居場所をなくし、大量の白髪が生えてくるほどに毎日懊悩していた。

そんなときに、ピアノは何も言わず僕の鳴らしたい音を奏でてくれたし、荒んだ心を少なからず癒してくれた。


高2になり、相変わらずバンドは続けて、ライブハウスや文化祭で演奏していた。

そして、ベースが上手な同級生が新たにメンバーに加わり、僕はキーボードに専念することができた。

高2の時、通っていたスタジオが主催する高校生ライブイベントで他校の仲良い友達もできた。


高2の終わり頃、またしてもピアノ教室の恩師が発表会に出てほしいと招待して下さり、僕は前回の汚名を返上するために、気合を入れてショパンで一番好きな曲「バラード第3番」を一年かけて猛練習して発表会で披露した。

先生もとても喜んで下さり、残念ながらその発表会にはおじいちゃんは病気を患ってしまい、来ることができなかったのだが、僕にとってとても大きな意味のある発表会となった。

また、その発表会で同じピアノ教室を卒業した3歳年上のJazzをずっと弾いてきた人と初めてちゃんと会話し、僕はその日からその人を慕って、その2年後に非常にお世話になることになるのだが、彼については後で記すこととする。


ピアノは、僕に素敵な出会いを運んできてくれる。

ピアノは、孤独な夜に僕に寄り添ってくれる。

楽しい時は、飛び跳ねるように鍵盤を弾き、悲しい時は、繊細に鍵盤を撫で、やり場のない怒りに満ちた時は、手に全ての力を込めて鍵盤を叩く。

僕の部屋に置かれたピアノは、泣いている僕も喜びに満ち溢れた僕も、どんな僕もいつも側で見てくれていた。

僕にとって高校生活は、今でも思い出したくないような苦いものだった。

今でも夢に出てきてうなされるほどに、記憶の奥底に蓋をしている3年間だった。

しかし、そんなときでも僕にはピアノがあった。

家族、友達、先生、親戚から見放されたときも、ピアノは僕の側にいた。

僕は、本当に運が良い。

そして、恵まれていると心底思う。

だって、ピアノは僕にいつも大切な何かを与えてくれるのだから。

僕が極限まで落ちた時にすくい上げてくれるのは、誇張なしでピアノかもしれない。

以上が、およそ15歳から18歳のピアノとの軌跡だ。

僕は、15歳でピアノ教室を辞めてから自分のペースで弾きたいように弾いた。

しかし、ここから僕はピアノによって深い悲しみを味わうことになる。

そして、ピアノに全く触れない空白の1年が訪れる。

続きは、またのお楽しみに。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



       あんずぃ

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