愛を勉強中

プレゼントのリボンを解くとき、すこしだけ寂しい気持ちになるのはどうしてなんだろう。箱を開けたからって、その中に閉じ込められた愛が逃げていくわけじゃないのに。

この数か月、お隣様の愛の交換を間近で見たり、いろいろな愛の形に触れてわたしの中で確実に変化が起きている。
前までは、愛とはなにかって自分の脳内を検索しても、検索結果は1件だったのに、今じゃ複数の検索結果が見つかって、表記揺れもあるし、リンク先が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてるしで、戸惑っている。
醜い感情だ、って思って見ないようにしていた「嫉妬」というものが、ある日急にどろりと流れ出すのを感じたときは自分に失望した。
愛するものができると強くなるんじゃなかったのかよ?話が違うぞ!って、毎日思ってる。へんなの。

ずっと好きでいることも、過去も含めて愛することも、今最大限の愛を伝えにくることも、全部難しいことなのに、それをやってのけちゃう人達に日々あってるんだから、変化しないわけがないよね。

こんなにダラダラ書いといて何が言いたかったかというと、
少しでも長く一緒にいられたらいいなってことです。


…いつか、検索結果が多すぎて本当に調べたかったことを見失いそうになったりもするんだろうか。
まあでもその時は、リボンで繋ぎ止めた赤なんかじゃなくて、
あの日見た赤を、わたしの正義の炎みたいにまっかな赤を、灯せばいい。

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