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ダンス・コンプレックス

ダンスを習ってみたかった。

「普段はダンサーをしています」
人生初の整体で正解なのか定かでない力で背中を押され揺らされながら、
普段は何をしているんですかという定型文に対して嘘をついた。
わたしは、ダンサーではない。
ダンスは好きだが、経験はほぼないに等しかった。
習ってみたいという気持ちはもちろんあって、
一、二度親に「ダンスをやりたいな」とジャブを打ったこともあったが完全にノーダメージといった手ごたえで、
幼いながらに「うちは多分、習い事はむりなんだろうな」と、その好奇心を押し入れの奥にひっこめてしまった。
(高校でダンス部に所属はしたものの講師やコーチがいるわけではなく、
経験者数人の動きを見様見真似で覚えるという完全お手製のかわいらしい青春を踊っていた。
ここに関しては割愛する。楽しくてきれいな思い出のままにしたいから。)

そしてその好奇心は、のちにコンプレックスとなって発掘されることとなる。

数年経ち、世間でもダンスというものが身近になったことはだれが見ても明白であるし、自分自身ダンスをすることが仕事の一部になった。
すると文脈の中でおのずと”ぼくのわたしのダンス遍歴”みたいなものの見せあいっこも始まるわけであって、
「小さいころにちょっとやってて」
「HIPHOPを6年」
「ジャズをずっとやってる」
なんていう、押し入れの奥の好奇心と手を取り合ってきた人たちをたくさん見た。

押し入れの戸を閉めたあとのわたしはといえば、ネット世界に棲み着いていた。
共働きの両親に与えられたパソコンにかじりつき、
インターネット黎明期を脱して世界とつながりだしたアンダーグラウンドに魅了されていた。
小学生のわたしが「これがダーク・ウェブか…」とつぶやき意気揚々と「乙ww」なんて書き込んでいたころにはもうすでに、
ダンスを習っていたあの子はアップもダウンもウェーブもボックスステップも習得していたわけである。

みんなみんな、うらやましかった。
お金をかけて努力をして技術を習得した人を、ずるみたいだと感じることもあった。(もちろんまったくずるなんかではない。)
なんだそのアドバンテージ、いいな。そんなひねくれた感想を飲み込むこともあった。

なんともばかばかしいことである。
今思えば習う習わないとか関係なく、動画でもなんでも見て、ひとりでやりゃいいし、有識者に頼み込んで教えてもらうとか、いくらでもやり方はある。
事実、学生時代に恋をした相手は独学の末ヴォーグ・ダンスの世界でスポットライトを浴びている。
それなのにわたしの中から「いいな」がずっと消えなかった。

わたしにはそういう、ばかみたいなコンプレックスがあった。
ダンスが好き、その言葉はいびつで幼稚なコンプレックスを孕んでいた。

2022年、7月。
押し入れの奥の好奇心よ、今こそ、お前と手を取って、リズムに乗って、ステップを踏もう。
今日も、ダンスが好きだ。
大好きだ。

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