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二元論伝説と人類のグラデーション

世界の旅路で、古代ペルシャ発祥のゾロアスター教は、底知れぬ神秘へ誘いました。イラン中央部に位置する荒涼な砂漠都市ヤスドの拝火神殿には、開祖ゾロアスター(ザラスシュトラ)が灯したといわれる聖火が、いまも燃え続けています。紀元前1,000年頃まで遡る最古宗教の特徴は、善悪二元論です。宇宙は光明神(アフラ・マズダ)と暗黒神(アーリマン)の対立を通じて、創世されたと説く壮大な教義。善神と悪神の闘争にまつわる、光と闇、陰と陽、男と女、生と死、天と地、昼と夜など、背反する関係の霊性は、古代の神話にも色濃く込められています。やがて、救世主が現われ最後の審判が下り、善神の勝利が確定するという終末観は、後発のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教へ伝播したという説が有力です。

この宇宙の意識に流れる深層水は、現代に至るまでサーガ(長編・叙事詩)で身近に捉えられてきました。スターウォーズシリーズ("Star Wars")のジェダイとシス、フォースとダークフォースは、まさしく善と悪の直接対決に他なりません。ジョージ・ルーカス監督は、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベル氏の著書「千の顔を持つ英雄」に影響を受けたそうですが、数多の英雄伝説は、冒険と謎解きに絡んだ二元論が基調です。ハリーポッターシリーズ("Harry Potter")の著者 J.K. ローリング女史の着想は、マンチェスターからロンドン行の列車で、突如視覚的にイメージが溢れてきたとのことで驚くばかり。ブリテン島でケルト神話などに触れて育った環境もあるのでしょうけれど、魔法界の大河ドラマに二元論的リズムを躍動させています。少し的はずれですが、日本のエンタメ時代劇(水戸黄門、大岡越前、池波正太郎の必殺シリーズなど)で演じられる勧善懲悪は、善悪二元論の物語類型ですね。

しかし、アメリカ西部開拓の白人を主人公とする西部劇が、一方的な勧善懲悪の欺瞞から衰退・変貌したように、善悪の識別は複雑で曖昧なものです。リヒャルト・ワグナーが、26年の歳月を費やした超大作「ニーベルングの指環 ("Der Ring des Nibelungen")」は、全世界を支配する魔性の指環に、神々もろともがこぞって執りつかれる愛憎劇。この史上最長4部作のオペラでは、もはや善悪の概念すらぶち壊されていて、超絶ディープでダークなストーリーに、第2部で断念してしまいました(いつか残編にチャレンジ)。同じく北欧神話をモチーフしたトルーキンのファンタジー超大作「指輪物語("The Lord of the Rings")」も、冥王サウロンを悪の根源とした二元論を内蔵しながら、破滅につながる禁断の指環を巡って欲望の戦いが錯綜します。創世伝説を顧みると、人間臭い神々たちは感情むき出し、陰謀、浮気なんでもありのギリシャ神話、はたまた日本神話しかり、実相とは万華鏡のよう(Kaleidoscopic)に思えます。どんな人物であっても善意と悪意は心に棲むものであり、善が悪に嵌ったり、悪が善へ回帰したり、絶対性はないといえましょう。夜空に移ろいゆく惑星、星雲、天の川を仰ぎ見るように、人間とは、Gradation(グラデーション)を帯びたマダラな存在なのです。

例えば、様々な社会事件で、加害者をけしからんと一概に決めつけられず、情状酌量の余地を見出すことは往々にあります。たまたま自分は恵まれていたが、仮に不遇な窮状に陥ったら、果たして同じことを犯さなかっただろうか、そう考えると、もしかしてを否めないでしょう。誰しも苦悩、嫉妬、欠点に苛まれ葛藤を抱えて生きるわけで、聖人君子など偶像でしかありません。また完全な極悪非道も決してないはずと願いたい。レミゼラブルのジャンバルジャンが、司祭の慈悲により開眼し、市長にまでなって善政を行うなど、希望の光はあるのです。清濁併せ呑むという言葉がありますが、作家の瀬戸内寂聴さんらの深い生き様から教えを頂けそうです。一方、生理学的に男性ホルモンのテストステロンは、支配欲、征服欲を高め、領土の拡大、権威の獲得に駆り立てます。自分たちと違う群れを外敵と見做し、優劣をマウントする。駆逐すべき対象を常に求める対抗心は、人類に本能的に仕組まれている習性といえましょう。故に、世界の歴史は栄枯盛衰をひたすら繰り返し、国家勢力の武力抗争は、経済力の対抗戦にある程度形を変えている以外は、21世紀になっても代わり映えしてません。

この呪縛を打破する鍵はないか連想を重ねてたどり着いたのは、アマゾン支流のマイン川沿いに暮らす:ピダハン族。彼らの思考は、過去・未来の概念、男・女や左・右を示す言葉、数や色の語彙、昼と夜、ついには他者と自分区別する交感的言語を持たない、極めて稀にみる構造です。言語人類学者でキリスト教伝道師のDaniel Everett(ダニエル・エヴェレット)氏が著書で綴ったアマゾン奥地の狩猟採集民族は、これまでの通説を覆し学界に衝撃を与えました。いまのこの瞬間だけを生きて、未来の不安と過去の後悔は抱かず、運命を淡々と受け入れる。相手と自分の境界線は薄く、優劣意識、嫉妬・差別の呪縛に囚われず、悩み・ストレスを抱かない。これこそが、喜びに満ちて幸せに生きる所以で、人間が遠い昔に失った原始的感性の源泉に違いなのでは? 大いに笑い刹那に生きるピダハン族の奇跡に、究極の難題を解くヒントが隠されていると、われわれ現代人はもっと気付くべきでしょう。

さて、ササン朝ペルシャの滅亡後、ペルシャのイスラム化(シーア派)により、ゾロアスター教徒(Zoroastrians)は減少の一途を辿り、いまでは約10万人だそうです。ゾロアスター教の祭司マギは、マジックの語源といわれ、太古の魔術師を空想してしまいます。UKロックに照らすと、クイーンのボーカリスト:フレディー・マーキュリーの伝記映画「Bohemian Rhapsody」で描写されたように、彼はインド西部に移民したゾロアスター教徒(パルーシー)の子孫なのですね。さらに余談ですが、以前、私はアメリカが敵視してきたイランのビザスタンプがパスポートに印されいて、米国赴任ビザの申請が降りるか当時ぼんやり気になりました。幸い杞憂に終わりましたが、もしかして、911同時テロの直後だったら、却下されてたのかも。

Yazd in Iran




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