困ったときの119番
林芳正に関する覚書、雑文などをまとめたもの。後半は総裁選に対するひとりごとです。
以下敬称略/表記揺れあり
林芳正▶︎ヨシマサ。林芳正をヨシマサとする以上、林義郎▶︎ヨシロウになります。今回は出てきませんが林幹雄のことは愛を込めてモトヲと呼んでいます。1万字程度あるのでお時間がある時にどうぞ。
最後の切り札としての次期総裁
20年ほど前のトーク番組で宮崎哲弥に「自民党・最後の切り札」というキャッチフレーズをつけられたヨシマサは「じゃあ、私が出るときに自民党は終っちゃうってことですか!?」と思わず叫んでしまったという。
(ひっそりボケて周囲を和ませることもできれば、咄嗟にツッコミを入れることもできるオールラウンダーぶり。宰相の器かもしれない)
現在の状況を踏まえて自民党には「最後の」とは言わないまでも「切り札」的なものが必要だ。今こそ、ヨシマサという切り札を出す絶好のタイミングなのではないか。
林芳正の本棚
早野透が聞き手をつとめた「政治家の本棚」の連載記事では林芳正の愛読書が紹介されている。
そういえば、連載がまとまった書籍の方にヨシマサは載っていただろうか?と思って確認したが載っていなかった。半分くらい自分が後で見返すためにまとめてみたいと思う。
江戸川乱歩やシャーロックホームズ、怪盗ルパン(幼少期の愛読書)
鴎外、漱石、太宰(中学時代の愛読書)
「日本人とユダヤ人」、「甘えの構造」、「菊と刀」(高校時代の愛読書)
「現代政治の思想と行動」、坂本義和の著書、「パワー・エリート」、「幻影の時代」、大前研一の著書(大学時代の以下略)
「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」、「文明の衝突」、「ヘッド・トゥ・ヘッド」「バウンド・ツー・リード」(留学していた頃に読んだ本)
「市場対国家」(この記事が書かれた当時に読んで面白かった本)
留学時代にボストンで読んだらしい本も「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」は日本語訳こそされていないもののKindleで読めるようだし、「文明の衝突」にいたっては日本語訳・文庫化されているので読みやすい。
これ以上は載せないが、古本屋を探し回らなくても買えるものが多いので林芳正の読書遍歴を追体験してみるのも面白そうだ。というか、そういう読書会とかあったら面白いのにと思う。愛読書を公開している政治家は多いので、もちろん林芳正以外でもできる。やりてー。1人でやるか。
ガス工事をしていた林芳正
生配信でも「昔、穴掘ってガス管繋いでたんです」と話して「全然イメージできない」と言われていたヨシマサだが、ガス会社で働いていた当時のことを次のように述懐している。
林芳正といえば、良くも悪くもインテリ一辺倒なイメージが定着している気もするが(実際インテリであることは間違いない)三井物産を辞めて、いきなり全く勝手の異なる仕事をすることになっても自然と順応することができる柔軟さを備えているのだ。総裁選仕様になる前のホームページのどこかにタンクトップ姿でタオルを首に巻いてる当時のヨシマサの写真があった気がするのだが、普通に保存するのを忘れていた。
昨今、ホワイトカラーとブルーカラーをめぐって様々な議論がなされているようだが、職業に貴賎がないのは大前提としてどちらも経験したことがある人間の強さを感じる。
本人曰く、商社勤めの頃とはまた違い、やったことが直接目に見えるガス会社での仕事には楽しさを感じていたらしい。
父から大人の駆け引きを学ぶ
以下、大学卒業後、林芳正が政治家になるまでの経歴を簡単にまとめたい。(参考資料「親子のカタチ」「政治家の本棚」など)
大学卒業と同時に三井物産に就職。海外の葉たばこを輸入して日本たばこを納入する仕事とシガレット輸入を専門とする部署に配属される。
入社当時、海外のたばこ(いわゆる洋モク)のシェアが2パーセントだったのに対して、入社5年で退職する際には十数パーセントにまで数字が伸びており、非常に充実した時代だったという。
入社後は、たばこの買い付けで一年弱ほどかけ、たばこの産地を転々とした。アメリカのノースカロライナ州、ケンタッキー州、グアテマラ、ブラジル、アルゼンチン、一度帰国したあとに、タイ、トルコ、ブルガリア、ギリシャ。アメリカのUSDA(農務省のたばこに関するグレーディング・スクール)でたばこに等級をつける方法について学んだりもしたらしい。
三井物産を退職したあと、サンデン交通で社長秘書を経験し、山口合同ガスに入社。「ガス会社に来るなら一からやれ」と言われ、工事現場で働く。ヨシロウは「それはいいことだ、現場の人と一緒になって働きなさい」と後押ししたとかしてないとか。
(この間の時系列が若干曖昧なので誤解があればご指摘いただけますと幸いです)
その後、渡米し2年半ほどアメリカに滞在。
ハーバード大学で主にポリティカル・サイエンスについて学んだあと、ワシントンに移って共和党議員のもとでアシスタント(国際問題アシスタント/銀行委員会のスタッフなど)をする。再度ハーバードに戻りケネディ行政大学院に入学したところで、大蔵大臣になった父から「帰国して手伝え」という要請を受けて休学し、政務秘書官に抜擢される。同年、政策担当秘書官の資格試験に合格。
父・義郎氏曰く「遠慮なくものを頼んでもやってくれるから、非常に都合がいいわ」と思っていたそうである。ヨシマサはこの頃の経験について次のように記している。
ちなみに、ヨシロウは自分は前に出ないで、自分がやりたいと思ったことを、敢えて他人に言わせてからやるのが上手かったらしい。ヨシマサはそんな父の姿を見て「大人のテクニックだ」と感じたようだ。かわいい。
その後、55年体制が崩壊して細川政権になったことを機にボストンへ(ケネディ・スクールに復学)渡り、のちに労働長官となるロバート・B・ライシュらから安全保障、メディア論、選挙論などについて学び、同大学院を卒業。
ワシントンに移り、二ヶ月間今度は民主党系のロビイストのもとでオリエンテーションをしたあと、民主党下院議員の事務所に行く。ちょうど日米関係の勉強会があって招待され、発言したこともあったという。
大体このような経歴を経て、1994年にヨシロウの政策秘書になり、1995年には参院選に出馬。衆院に鞍替えし、現在に至るといったところだ。
その他、幼稚園生の頃から習っていたピアノを辞めたくて「辞めたい」と言ったら、母親から「なんか代わりにやるんならいいよ」と交換条件を出されて中学一年生までバイオリンをやっていたとか、大学の合唱団で指揮者に指名されたので、東京音大の指揮法の授業に潜り込んで習っていたとか、ヨシロウが厚生大臣だったころに一緒に献血に連れて行かれて新聞に載ったのが新聞デビューだとか。
学校にいて選挙カーが近くを通ると「なんだうるせえな、オヤジじゃねえか(笑)」と思ってたり、選挙期間中になるとバンドやるために(?)伸ばしていた髪の毛を散髪屋で短く切り揃えられて手伝いに駆り出されたりしていたとか、色々なエピソードがあって面白い。
着実で穏やかな経済成長こそが最大の安全保障
ヨシマサがよく使う言葉といえばこれである。2021年には、国家ビジョンを尋ねられ「着実で穏やかな経済成長こそが最大の安全保障でしょうか。中国のような覇権丸出しの成長路線ではなく、国際社会から共感をもって受け止められる経済成長を志向することです。それが日本の安全保障を磐石にすることにも繋がるはずです」と答えており、2022年にも全く同じようなことを述べている。(出典:文藝春秋「次の総理はこの私」「同志を募り、手を挙げる」)
所得倍増といった急激な成長ではなく、飽くまで穏やかな経済成長を掲げているのは何故なのか。理由は上述の言葉の中にも表れているがそれだけではない。
所得倍増といえば本来宏池会の専売特許だが、今日食べるものにも困る国民が多く存在した昭和三十年代は国民所得をとにかく増やせばよかったのに対して、所得以外のファクター(国民一人一人の自己実現、治安の良さや環境問題に端を発する諸々のことなど)が重要視される時代になった現代社会では、GDPの統計だけを見るのではなく様々な指標を参考にして実感の伴う豊かさを増やしていく必要があるということをヨシマサは訴えている。
ものすごく大平正芳みを感じるというか、大平がやろうとして志半ばでできなかったことを継承しているような気さえする。
大平とヨシマサについては後述するが、やはり「経済中心の時代から文化重視の時代へ」を掲げた大平哲学を現代社会に上手く融和させたのがヨシマサの政策理念であるように思えてならない。
それにしても月額800円という数字が出てくるあたり、ヨシマサもなんらかのサブスクに登録している…?
ヨシマサは方々で優秀な後輩、頼りにしている後輩として福田達夫の名前をあげているのだが……。
林芳正と高市早苗の憲法論議
2013年の文藝春秋には「日本人のための憲法とは何か」と銘打った憲法改正に関する座談記事が掲載されている。
司会を除くと九名が参加(林芳正・高市早苗・舛添要一・阿部智子・中西輝政・西修・伊藤真・木村草太・東浩紀)しており、自民党の現職議として参加しているのはヨシマサ・高市の二名だった。
白熱四時間(!)とも書かれている通り、結構なボリュームだが、全文を通して両者の考え方に大きな違いがあるようには思えなかった。より厳密にいうならば、考え方や思想のバッググラウンドには違いがあるが、目指しているものは大差ないという方が正しいかもしれない。
例えば、高市が「自民党草案には自衛隊を明示的に規定し、国防軍保持を規定した上で、国防軍が行える行動を明記した(今は石破案と呼ばれてしまっている旧自民党案くんの残像が見える)」「一定規模の人口を持った国家で軍隊を保持していないのは日本だけだろう」と述べているのに対して、ヨシマサは「自民党草案では集団的自衛権だけでなく、他国と協調し、相互に安全保障を行う集団的安全保障を可能にすることができる」と述べている。
また、「現行憲法には単純なミスがある(7条4項に天皇陛下の国事行為として”国会議員の総選挙の施行を公示すること”とあるが、総選挙は衆院選を指すのであって参院選は含んでいない…など)」と指摘する高市に対して、ヨシマサは「(96条先行改正案について)国民主権を行使しやすくするための発議要件緩和でもある」と現行憲法制定の経緯を踏まえ、国民による信任投票を行うことには改憲派・護憲派の垣根を超えて意味があると訴える。
憲法改正は国民に対してどのような影響を与えるか(そしてどうすれば憲法改正のプロセスを乗り越えることができるのか)というポジティブな要素を示すヨシマサと、現行憲法はどのような問題を孕んでいるかということを指摘する高市。
これは、どちらがより「保守らしいか」というよりも、お互いの人間的な性質の違いといったほうがよいのではないだろうか。そしてそれは、どちらが良い、悪いという問題ですらない。
ただ一筋の大綱にせよ
ほかにもこんな一幕がある。
96条先行改正案への「そんなことをすれば自民党は好き勝手に憲法を改正するのではないか」という批判に対して「それは的外れで、自民党は既成政党で唯一前文も含めた全改正案を発表している」「全ての条項が議論の対象になる」と反論するヨシマサ。
ヨシマサの反論に続けて「他党にもトータルな条文案を示していただきたい」「そもそも国民投票があるのに発議要件を緩和しても与党案が丸ごと通るわけがない」と被せる高市。普通にアツい。自民党の良さは本来こういうところに出るんじゃないかと思う。
実際にヨシマサは、2021年の文藝春秋に掲載されたインタビューにおいて、「宏池会的なリベラルと清和会的な保守が、硬くねじれ合って一本の縄になるのが自民党の強みだ」という先輩議員の言葉を引用している。
ここで言う”宏池会的なもの”と”清和会的なもの”は単に派閥のことを指すわけではない。先達が築いてきた伝統や思想の系譜を指すのだろうと思う。
大平正芳の「楕円の理論」もそれに近い。自民党の中心は元々二つあるので円ではなく楕円なのだ、という考え方である。やや急進的な保守、そして穏健でリベラルとも通じるところのある保守。ここでは敢えて保守本流・保守傍流という言い方はしないが、二つの中心があってこその自民党であることは間違いない。
映画「グッドナイト&グッドラック」で、ジャーナリストである主人公・マローは「彼(マッカーシー)を批判するものは全て共産主義者と見做される」「それでよいのですか」と視聴者に向かって問いかける。自分を批判する者は共産主義者である/自分が支持している人間を批判する人間は全て共産主義者である。行き過ぎた保守の行き着く先はそこだ。そしてそれは、もはや保守ではない。もっと独りよがりで品性に欠けたものだ。
どちらか一方を個人的な感情や思惑によって過剰に否定・肯定することで、先達が編んできた自民党という名の堅固な縄が解けるような状況を生み出してはならない。
もちろん、わかりやすくヨシマサ・サナエを挙げただけで他の七名の候補者に関してもいえることである。これが、武士のやまと心をより合わせ/ただ一筋の大綱にせよ(詠人・野村望東尼)…ってやつですか?違うっぽいかも。
”もともとからある感情”について
さて、12日からいよいよ総裁選がはじまる(これを書いているのは8日の夜である)
これまでは、派閥同士の鍔迫り合い、数の論理によって総裁が選ばれてきたといっても過言ではない。だが、今回は候補者が乱立し、各々が各々の”色”をあきらかにしなくてはならなくなった。
そのようなわけで、候補者当人は他の候補との明確な差異を政策や政治姿勢によって示すことを迫られ、支持者のなかには他の候補を批判することによって”差”を周知のものにしようとする方々もおられるようだ。
愛国心、脱派閥、世代交代、さまざまな”象徴”のもとに大衆(わたしもそれに含まれる)が先鋭化していくさまは、リップマンの「世論」を思い出させる。
まさしく、今回の総裁選では各候補(全員ではないかもしれない)が作りだした”象徴”によって、個人の意識がひとつの集団に取り込まれ、先鋭化する現象が生じているように思えてならない。
リップマンは「大衆の感情が必要としているのは、現在展開され公にされている政策が、もともとからある感情に(論理的には無理としても類推と連想によって)結び付けられることだけである」と指摘する。
為政者は古くから、自らが掲げる政策にいずれ結びつくだろう大衆感情を扇動するために、より大きな象徴を求めた。この”もともとからある感情”が厄介極まりないことを知っていたからだ。
しかし、SNSの普及によって世論はもはや政治家やマスメディアの手を離れ、大衆自身に揺り動かされるものとなってしまった。だが、それが悪いとも一概には言いきれない。
大島理森のことば
ここで思い出すのが大島理森の言葉だ。
国民の生の声や感情に左右されるのはよい。そもそも民主政治とはそういうものだ。しかし、政治家が国民を飛び越えて数歩先を歩けば、いつしかその声は聞こえなくなり、後ろから微かに漏れ聞こえる一部の声を”民意”だと誤解することにも繋がる。
山崎拓が「私の主張に対する支持というものが一部にはありますけれども、遺憾ながらそれは民意ではないです」と話していたのが頭をよぎる。
聞こえている声だけが声ではないこと、多数決は一つの手段にすぎないこと、勇足で前に進めばそれだけ見えなくなる国民が増えるということを忘れてはならない。
個人の意図を曖昧にする”象徴”によって先鋭化した一部の声が、”多数決”によって主導権を握るというのが考えうる限り最悪のシナリオだからだ。
政治家が語る「半歩先」の重み
林芳正は「大平正芳とその政治 再論」において「半歩先」という言葉を用いている。
大平政治を振り返るなかでヨシマサは「政治家は国民の半歩先を歩かなければならない」と述べている。まさに先述した大島理森の言葉と重なる。
一歩先も半歩先も「ほんの少し先」という意味では近しい意味を持つが、ニュアンスは異なる。そこに「物語」があり、政治にはそういった「物語=文学性」も必要だ、と語っている。そして「政治にも文学が必要である」という考え方は大平正芳から学んだことだという。
「六十点主義」に関する文章も面白い。学者や官僚になる人々は、なんでも百点満点を目指そうとする。八十点でも不出来だと思い込んでしまう。
しかし、大平は「六十点でよい」と敢えて肯定する。絶対に間違えてはいけないと自分を追い込むことも時には必要だが、「まずは六十点」と思う方が心に余裕が生まれ、むしろ丁寧に取り組むことができる。
六十点以上を維持しつつ、上手くいったことと改善すべきことを確認しながら、漸次進んでいこうという大平哲学に対して、「何事も急変するのを良しとしなかった大平先生らしい」とヨシマサは言う。何事も急変するのを良しとしない、それこそが”保守”の本質なのではないか。
風俗としての政変
そういった、”急激な変化を生み出さない政治姿勢”がこの国の政治風土に適していたと考えることもできる。谷川雁は55年体制が崩壊した年に次のような記事を寄稿している。
大論理によって本質的な好ましさが生まれた例は一度もない。だから、変化は少しずつ起こすに限る。保守とは正しく”現にある風俗”を尊重し、退屈でない程度に変化を持たせ、日本という国の政治風土に適した手段を選ぶことだと思う。
保守本流が自由党の系譜を指すのであれば、自由党党首として保守合同の旗振り役となった緒方竹虎はある意味で保守本流の祖ともいえる。
緒方は「政治とはなにか」という問に対して「政治とは無理をしないこと、立憲的とは手段を選ぶこと」だと説いている。
自民党は今、分水嶺に立たされている。(身から出た錆であるとはいえ)変化を余儀なくされる時代にあって、無理をせず、成すべきことを堅実にこなせる人。自民党が”保守”政党である以上、自民党を代表する党首もまたそうあるべきだ…というのはただの私見だが、そうあってほしいと願ってやまない。
言葉遣い以上の政治は持ち得ない
「どんな国民もその民度にあった政治家しか持つことができない」というのは使い古されたいけ好かないフレーズだが、「いかなる国民も彼らの言葉遣いに相応する政治家しか持てない」という西部邁の言葉には共感する。ろくに根拠もないフェイクニュースやSNS上の投稿が原因で個人が誹謗中傷されるとき、”そこで用いられている言葉”に相応する政治を呼び込んでいる(のかもしれない)という意識をもって、お互いに気をつけてまいりましょう。
9月とはいえ、まだまだ暑い日が続いております。街頭演説などを見に行かれる際は熱中症にお気をつけください。
そしてなによりも(少しばかり気は早いですが)岸田首相とその関係者、オタクのみなさまにおかれましては、ほんとうにお疲れ様でした。敢えて支持者とは言わないことにいたします。