薄青のグラス。(1)
「ああクソ…こんなの終わらねえよ…」
山積みのファイルの隙間からスマホを探し出す。照明がほとんど落とされたオフィスに、ぼうっと明るい画面が浮かぶ。22時40分。今日も帰れないだろう。
大学を卒業し、就職して3年目。任される仕事も増えた。ここ最近は繁忙期で、彼女との時間はおろか、ろくな食事すらとれていない。それでも、大切な彼女のためと思ってなんとか毎日生きている。
「あ…」
俺は溜まった通知に気づいた。
『保乃: 通知13件』
「んー…なんだ」
『今日も遅いん?』
『また帰る時間ゆってー』
『遅いんやんな?そしたらご飯おいとく!』
『もしかして帰れなそう?』
しょぼんとしたクマのスタンプ。その次はヒヨコが涙を流してる。
「はー……」
俺は頭を掻いた。その通知に返信を打ち込み、電話をかけた。1コールもしないうちに、通話が繋がった。
「もしもし?」
「保乃」
「も〜今日も帰れへんの?」
電話の向こうの保乃のへの字口が見える気がする。
「あーうん……ごめん」
「ううん、しゃあないよ。お仕事頑張ってるんやもん」
保乃は優しい。その優しさが今の俺には痛く染みる。
「あとさ…仕事中にあんなに送ってきてもさ、見れない時は見れないから」
「あー…ごめん…」
保乃が答えるまでに、一瞬間があった。なんとなく嫌な間だった。少しトゲのある言い方をしてしまったかもしれない。
「あ、いや、別にそんな…」
「うん、ごめんな…?じゃ、私寝るから…おやすみ!」
俺がフォローをしようとしたが、保乃が遮った。保乃はどこか、早く切り上げようとするかのようだった。
「保乃?」
俺はスマホの画面を見た。とっくに電話は切れている。暗い画面に、通話時間の数字が佇んでいるだけだった。
「はぁ……」
保乃とは付き合い始めて、もう5年ほどになる。きっかけは何だっただろうか、今はすぐに思い出せない。ここ最近は俺の仕事漬けの日々に、少し不穏な空気が流れている。帰れた日は俺がすぐに寝てしまうか、飲み会帰りで面倒をかける。休みの日もほとんど家でゴロゴロしているだけだ。正直、彼女もつまらないだろうとは思っている。なんとかしなくちゃならないともずっと思っている。ただ、時間も体力も足りない。どうにかしたいけれど、今はどうにもできない。実際仕事のせいだが、それを言い訳にしてしまっている気もする。俺はずっと、この状況を有耶無耶にして逃げてきた。
「耐え時、だな…」
苦いコーヒーを啜って、俺はまた資料に向き直った。
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