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トーキョーライフワークトーク第1回アーカイブ:文章

2020年8月配信分

【ゲスト】織戸龍也さん (株式会社 岩淵家守舎 代表)
【ナビゲーター】田中結子

東京都北区岩淵町を拠点にまちづくり事業をおこなっている織戸さん。会社のコンセプトとして掲げている「欲しい暮らしはつくれる」をシゴトとプライベートの双方から実現されています。実現に向けたお考えや環境づくりの方法について聞かせてもらいました!

音声でお聞きになりたい方は前回の投稿からお聞きください。


●取り組んでいる事業について
田中:織戸さんは東京都北区の岩淵町を拠点に様々な事業を通じてまちづ くりを行っているんですよね?

織戸:そうです。ぼくは個人で建築家として活動しながら岩淵町にまちづくり会社を作りました。
このまちづくり会社で地域の課題解決をしながら自分たちもその街に住み、この街を通して北区を知っていこうと思っています。

田中:具体的にはどんなことをされてるんですか?

織戸:空き家活用を中心としながらそのコンテンツを生かす中身を自分たちで育てていったり、マルシェを行ったり、空き家を活用する人の創業支援を手伝ったりしています。

田中:取り組まれていることが幅広いですね。
織戸さんご自身も岩淵町のあたりのご出身なんですか?

織戸:いえ。ぼくは足立区の出身なんですが岩淵町の大家さんと知り合い、住むことになりました。

田中:事業をはじめた経緯についても教えてください。

織戸:北区で暮らす前に豊島区のあるマンションに住んでいました。
そこの大家さんはまちづくりに取り組みながら暮らしていました。事業を起こすリノベーションスクールを行っていてぼくはそのスクールの参加者でした。
スクールは開催する土地が決定するとその都市で空き家を募集します。その空き家を所有する大家さんに対して3日間でプレゼンテーションをするんですけど、その時のぼくの対象物件が岩淵町にある空き家でした。
その時にはじめて岩淵町に来て、大家さんとお話しをして地域を巡って3日目にぼくがここに住んで活動をはじめたいと大家さんに熱い思いを伝えたら大家さん承諾してくださり、そこから1年をかけて準備をしていきました。

田中:3日間のあいだに岩淵町で事業をやろうと決心したのは岩淵町のポテンシャルに魅力を感じたからですか?

織戸:そうですね。ぼく自身もともと足立区の荒川沿いに住んでいて銭湯があったり、岩淵町もその環境に近かったんです。
同時にぼく、お酒がすきでその当時は23区で唯一酒蔵があったんですけど、お店はなくて・・・ここで事業を起こしたら面白いんじゃないかなというのがありました。

田中:ご決断にご家族もびっくりされたんじゃないですか?

織戸:ぼく自身、以前建築事務所に勤めていていずれ独立はしたいと思ってたんですね。そのタイミングを見計らってたこともあったので、この岩淵町をきっかけに自分の事務所を持ってひとりでやっていこうと思いました。

田中:今取り組まれているまちづくりの事業の名前はありますか?

織戸:はい。ぼくたちは岩淵家守舎という会社を作ったんですけど、家守っていうのがもともと江戸時代にあった地域の問題ごとを繋げて解決していた職です。
現在の大家さんってその土地に住んでいるとは限らなくて隣同士のテナントが誰だかわからないし、商店が競合にならないようにまちの問題を解決していこうという思いを込めて家守舎という名前にしました。
その家守舎のなかで行っていく事業にはいろんな活動があって、ぼくたちはまず小さなエリアを設定しました。一人の大家さんが長屋を13~15棟お持ちだったところからそのエリアを岩淵の中の「co-toiro(コトイロ)」と名づけました。
「co-toiro」というエリアはその大家さんが持っていた土地が染色工場の跡地だったんですね。なのでぼくたちはそこに新しい色をつけていこうと、コトと色が滲み出すシェア拠点を作っていこうということとcoには共用、みんなのという意味があり、toiroは十人十色の十色から取って名づけました。

田中:名前にたくさんの意味合いが込められてるんですね。
さっき必ずしも大家さんが近くに住んでいるわけではないという話あったんですが今空き家問題が深刻で、その原因として空き家の持ち主がわからないということも原因の一つになっていると話を聞いたので、空き家問題解決を促進できそうですね。

織戸:地域課題というと北区は23区の中で高齢化率No.1といわれていて、高齢化から起こる空き家問題がすごく多いと思うんですね。
ぼくたちは高齢化と空き家の問題が密接な北区でどういうふうに高齢者たちと世代間交流をしていき、そのあとの家の問題まで落ち着かせることができるかということを考えています。


●地域で新たな事業を始めるための理解者作り
田中:新しいことをはじめる際にもともと住んでる地域の方たちに理解してもらうことが難しい場合があると思うんですけど織戸さんの場合はすぐ理解してもらえたんですか?

織戸:スクールが終わった直後に岩淵町でお祭りがあったんですね。岩淵のお祭りは2年に1回しかお神輿がでず、その2年に1回が事業を始めようと思った直後だったのでお祭りの神酒所を作ったり準備のところから片づけまで手伝わせてもらいました。
なので説明する機会というよりはお祭りの準備をしながらお話したので説明会を 開いたりしなくても話せる機会がありました。

田中:では理解してもらうきっかけを作ったのではなく、もともと地域で行われている取り組みに実際に入って共感をしてもらえるように広げていったんですね。

織戸:はい。まさしくそうですね。

田中:実際に「co-toiro」にあるシェアキッチンやコワーキングスペースといった機能は地域の方にはすぐ使ってもらえたんですか?シェアキッチンは使ったことのない方からすると敷居が高い印象があるのですが実際はいかがですか?

織戸:コワーキングスペースはすぐ需要として何名かからお問い合わせがありました。
シェアキッチンはぼくたちも使い方を模索していくところだったので、まずは住人さん同士が楽しくおしゃべりしながらごはんを食べたりできるスペースとして長屋に住み住民さんの共用棟っていう扱いにしました。その共用棟を街のひとにも少しずつ開いていって、会員制で利用できるようにしました。
外のスペースでの地域のおじいちゃんたちとのお茶会等は会員など関係なくやり、住み開きに近い形をシェアキッチンを使いながらしていったイメージですね。

田中:実際にシェアキッチンを使ってなにかイベントが開かれたりもするんですか?

織戸:そうですね。ぼくらと同じ世代くらいの方々はパーティースペースのご利用などで申込みをしてくれたり、お母さん層の方々が子連れのクリスマスイベントをするのに借りてくれたりということが多いです。
なかなか高齢者の方の利用はなかったんですけど最近になってやっと「織戸くんいる?」と来てださるようになりました。
持ってるお酒を出してあげて一緒に飲んだら次の日に一升瓶を持ってきて「昨日のお礼」ってくれたりしてお預かりしているような状況です。

田中:ひとがたくさん集まってるとご高齢の方もなんだか楽しそうだなって思うんでしょうね。

織戸:そうですね。ぼくたちはシェアキッチンとコワーキングスペースを広めたいという思いもあるんですが、この場所で商売とか商いができると知ってもらうためにこの地に来てもらう必要があると思ったんですね。
大家さんが所有してる敷地の中に私道があるので、なにか活用の方法があるんじゃないか、ということで何件か知り合いの方を呼んでマルシェをはじめました。
これをきっかけに「co-toiro」のことを知ってもらえるといいなと思ったんですけど、実際マルシェのほうが独り歩きしてだんだん大きくなりまして、まずは月1回頑張ってみよう、と。
ここは日光御成街道の第一の宿場町だったんですね。なので宿場町の機能としては寝泊りができたり、泊まってる方々が飲食をできたりっていうことが楽しくできた場所だったんですけど今は廃れてお店がない。
この状況を踏まえてぼくたちがお店を出せる環境を作っていこう、それでファンができたところではじめて空き家活用に繋げていけるんじゃないか、ということでマルシェから実店舗を持てる環境を作れるように動いてきました。

田中:馴染のない場所でお店をやろうとするとハードルが高いですけど、順序があると少しハードルが下がりますよね。

織戸:ステップアップしていく段階を作ってあげようということと、僕たちも信頼関係を結ぶのに月に1回お会いしているだけではなかなか進まない。
逆にマルシェじゃないときにポップアップでその方単体で出てもらうことによって、地域のひと向けにその方のためだけのお客さんが来てくれるという状況を作りました。ポップアップを繰り返しているうちにマルシェ以外のときにも隔週で来てもらったり、現在では移動販売という形だったりとか毎週何曜日はおさかなの日、お野菜の日っていう風に農家さんが来てくれるような仕組みも出来上がってきました。

田中:実際に自分の街にお魚屋さんだったり八百屋さんが来てくれると高齢の方もお買い物がしやすくなってその地域で暮らしやすくなるので長く暮らしていけそうですよね。
「co-toiro」さんにはいま自転車屋さんとカフェにテナント貸されてると雑談で伺ったんですが織戸さんの中には「co-toiro」さんの理想のイメージがあって逆算でテナント貸しされてるんですか?

織戸:自分たちの中で掲げているのはこのまちである程度完結するよう経済を回していくことですね。こんなお店がほしいっていうリストをFacebookに投稿してみたりとか、仲間たちと一緒に話してるのを放送してみたりしたんです。
その中でやっぱりオフィスがあって、そこでお仕事してるひとがいたら近くにカフェがあるといいねとかパン屋さんが目の前にあって朝からいい匂いがしてっていうのにすごい憧れていて。そういうことを話していたらたまたまその募集を見た方が申込みをしてくださったっていうのがきっかけでした。


田中:いいですね。朝、パン屋さんのにおいで目がさめるって理想的ですよね。
お話を聞かせていただく中で織戸さんは人を巻き込む力がすごいなって思ったんですが、当初リノベーションスクールの方々と一緒に会社を立ち上げられたとおっしゃってましたよね。
どうしてその方々は織戸さんと一緒に事業に取り組んでくれたんですか?


織戸:ちょうど30代に差し掛かる新卒5年目、6年目っていうのは自分の力を試してみたいっていう方が多いと思います。ぼくもその傾向にあって、メンバーのうちの一人はイベントとかをプロモーションをする会社にいたんですけれども、ぼくが設計とかまちづくりをする中でプロモーターみたいなひとたちが必要になってくるし、一緒にやろうよって話に。
ぼくはちょうど独立しようと思ってたから主軸になりながらプレーヤーともなり、コーディネーターにもなりながらまちづくりをしていくからサポートしてほしいって彼に頼みました。同時にそのスクールは先生が一人つくんですけども「継続的に見守ってほしいです。だから一緒に会社をやってほしいです。」という風にお願いをしました。「co-toiro」の大家さんも近くには住んでいらっしゃらなかったので会社に入っていただきました。


田中:大家さんも直接建物の管理ができなくてもそうやって声掛けてもらったらうれしいですよね。


●シゴトと暮らしの双方で理想を実現させる方法
田中:会社のコンセプトが「欲しい暮らしはつくれる」だとお伺いしたんですが、これにはどういう思いが込められているんですか?

織戸:自分の中で「住む」ということと「暮らす」ということの定義があって、「住む」というのはその場所に対して停滞している状態を表します。「暮らす」というのがそこで買い物をしたりお話しをしたり公園に行ったりという動きがあることなんですね。
その中に「住む」という状態が含まれていると思っています。
暮らしっていうことには地域での暮らしを自分の手で作り上げていくこととみんなで一緒に作り上げていくということがあって、欲しい暮らしというのはずっとみんなが探究していくものでお金が稼げればいいだけではなく、そこには人がいて、見える関係性がずっと続いていくことがぼくにとっての欲しい暮らしです。
それって自分たちが動いていけば作れることだと思って「欲しい暮らしはつくれる」としています。

田中:織戸さんは今実際にご自身がまちづくりを行っている地域で生活もされていて、その中で新しいニーズが出てきたりもするんじゃないかと思いますが、それを織戸さん自身が事業として叶えていくことで欲しい暮らしに繋がっていくんですかね?

織戸:そうだと思います。

田中:その中で新たに感じたご近所付き合いの魅力ってなにかありましたか?

織戸:新しくというわけではないんですが、ぼく自身が学生のころからシェアハウスに住んでいて、共同生活をするっていうことに親しみがある暮らし方をしていました。
その後ぼくが大学を卒業する歳がちょうど3.11の年で、それ以降みなさんと自分自身の中の潜在的なものが変わったのか、ご近所付き合いとか隣近所に知っている人がいることに安心感を覚えるようになったかなと思うんですね。ぼくも当時は全然思わなかったんですけど、現在どこかで暮らすときに隣近所のひとってどんなひとだろうとか高齢者の方だったらどういう風に接していこうかなっていう風に考えるようになりました。

田中:最初にシェアハウスに住もうと思った時に抵抗はなかったですか?

織戸:学生のときはサークルの仲間と一緒に部屋を借りました。ぼくは美大だったんですけどなかなか足立区から美大まで通うのがすごい大変で、制作の場所も一緒に欲しかったので共同の作業場で一緒に寝るように暮らしてました。

田中:織戸さんはまちづくりという大きな枠組みのなかで設計やテナント貸、創業支援の事業だったりとすごく幅広く取り組まれている印象があるんですが多角的なビジネス展開の強みってなんでしょうか?

織戸:ぼく自身がまちづくり会社をやっていると同時に設計業を個人事業でやっているんですが、やはり自分のポジションをいろんなところに置くことによってまちづくりのできる設計士さん、設計のできるまちづくり会社の人、っていう風にネーミングが逆になっても活動できるんですね。
ぼく自身はまちづくり会社の中でもマルシェをやるひとになったりとか、コミュニティイベントを開くひとだったりっていう風に携わってるひとの中でぼくの見方が建築をやってるひとじゃないっていう方がかなり多いんじゃないかなと思います。
なんでも投げかけることができて頼りにできるっていう人がまちづくりの中ではすごく大切なのかなと思いました。

田中:これとこれを両方だれかにお願いしたい。それを織戸さんだったら叶えてくれるところが強みなんでしょうね。


●織戸さんの考えるライフワーク
田中:岩淵町のまちづくりに携わるようになって、まち自体にはどういった変化を感じていますか?

織戸:このまちに住み始めたときが独身で、自分のライフステージ自体が結婚して子供が生まれてと変わったこともあるんですけれども、同時にまちの人が自分たちの事業に興味を持ってくれるほかに、ぼくら家族自身にも「なんでここで一緒に暮らしてくれてるの?」っていう風に興味を持ってくれたりしたことで、会社に対してだけじゃなくひとに対して興味を持ってくれるようになったなぁと感じています。

田中:「欲しい暮らしはつくれる」っていうコンセプトで事業をされていて、お話を伺っているとまさにその言葉が頭に浮かんでくるようにコンセプトを体現されているなぁという風に感じました。
実際に色々な仕事をしていると当初掲げていたコンセプトがぶれてしまったり、目的と手段が入れ替わってしまうことがあるんですがブレない考え方の秘訣を聞かせていただきたいです。

織戸:「欲しい暮らしはつくれる」っていうのはぼくだけが掲げていることではなくて、友達だったり同じ思いを持っているひとたちがいて、それを相互に勉強しあっているということがあるんですね。その時その時に持っているビジョンがあって、それがズレたときに誰かと話をした際に修正してくれたり、自分自身でも気付けたときがもう修正モードに入れていんじゃないかなと思っていて、秘訣というよりは思いも共感も全部シェアしていくっていうことが自分たちを作っているんじゃないかなぁと思います。

田中:織戸さんのこれからの展望について聞かせてください

織戸:まず岩淵町からスタートしたんですけれども、同時にその地域には周りの地域があって、その周りの地域にはさらにその周りの地域があって・・・。
北区全体のことを考えたり、北区を取り巻く周りのエリア、城北エリア全体のことを一緒に取り組んでいくことで周りが良くなると思います。
点と点が繋がって面になりながら、面が大きくなっていくっていうことがエリアの拡張にも繋がるんですけれども、岩淵町があるから、北区だから遊びに来ようっていう風に思ってもらえる関係値をどんどん広げていくために活動をしていこうと思っています。

田中:繋がりをたくさん作ることでお互いの相乗効果を生み出していけそうですもんね。

織戸:そうですね。

田中:城北信用金庫でも昨年COSA ONというコミュニティ拠点とインキュベーションオフィスからなる一体施設を町屋エリアに立ち上げました。創業者の流入が大きな目的ではあるんですが、そこから新しいコラボレーションだったり相乗効果を生み出していきたいと思っています。
なので織戸さんの取り組みと一緒に城北地区やさらに大きなエリアで繋がりを拡大していきたいと感じました。

織戸:北区にある空き家でも他の地域の方が使いたかったりとか、僕ら自身も今ちょうど町屋エリアで「ニュー阿波屋プロジェクト」というプロジェクトをやっているんですけれども、昔ながらのおじいさんがやっていた飲食店で地域以外にもファンがたくさんついていて、それをまた生かしていこうっていう風にいろんな方がその物件に関わって建て直しをしているんですね。
そんなカタチでノーストーキョーいわゆる城北エリアをぼくたちはまたリブランディングしていこうと思っているんですけれども、地域、またはそのちょっと遠くからでもなにか手伝うことができる関係値を作っていけたらいいですよね。

田中:そうですよね。
続きましてこれが最後の質問です。この質問は番組に出演する方全員にお伺いするものです。
あなたのライフワークはなんですか?

織戸:ワイフワークって毎日を過ごす中で暮らしていることなんですよね。寝たり起きたり、買い物をしたり、食べたり・・・自分たちの暮らしっていうのを一生続けていく中でそれぞれのライフステージがあると思います。
そのライフステージにあった生き方っていうのがあると思うので、ライフワークということに対して特別な取り組みをしようとは思っていなくて、お金だけじゃない価値で自分にとっての幸福度がその時高い暮らしをしていければという風に思っています。

                       番組提供:城北信用金庫

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