サインと指標性(1)

▼簡易まとめ

・サインの価値観には、次のような見方がある:
①指標性:因果関係に関する信憑性のある知識
②個性・独自性:型や一貫性に対する逸脱
③労力:サインにかけた労力の量(サインの量・デザインの複雑さ、など)

・その他の論点
*「贋のサインを買ってしまう人」の実践とはなにか。
*サインの周辺にあるジャンル:作品へのサイン、指紋、映画の指標性、聖遺物(聖骸布)、など。
*サインの意図は「まごころ」のようなものか


・サインの価値は指標性に掛かっている
それがサインの主以外に書かれてしまったものならば、指標的な価値は失われる。サインの形状はさしたる問題ではない:むしろ、書き損じがさらなる価値を生み出すことさえある
(しかし、他人が書き損じをつくり、売り出したとしても、あまりに盲目でない限り、騙されないのではないか。つまり、ここでサインの指標性に対する疑いが発生するのではないか。逆に、「贋のサインを買ってしまう人」の実践とは、どのようなものか。)
サイン会の意味。目の前でサインが書かれることによって、指標性に対する疑いは発生しなくなる。(指標性に対する疑いとはなにか。それは滑らかな実践に反するものなのか。)

・印刷されたサインよりも、人間によって書かれたサインの方が価値があるように思える。
仮に、AIが筆跡を学習し、ひとつひとつ微妙に異なるサインが書かれるようになったとする。そのとき、指標性はどうなるのか。もし「過程」を重視するのならば、筆跡を学習させるためにサインをたくさん書いているはずで、価値は損なわれないと言うこともできる(いわば「労力価値説」)。このときの違いは、最終的に紙に接地するインクが、印刷機によるものか人間によるものか、という違いしかないように思える。
パターンは3つある:①本人によるもの、②他人によるもの(優秀な贋作)、③機械によるもの(AIと印刷機の合作)。
どれを選択するにせよ、サインの価値には因果関係に対する知識が深く入り込んでいる。

・サインのバリエーション。時期によってサインが変わるとしたら、数が少ないサインの方が稀少であり、価値があるということもできる。
しかし、「一貫性」という観点からは推奨されない方法だろう。1ヶ月に一回、気まぐれなタイミングでサインを変えるアイドルが居たとする。そのアイドルに一貫性があると言えるだろうか。(あるいは、別の視点はあるだろうか。「キャラクターの生成変化」を体現するアイドル?)
軸となる一貫性がまずあり、一貫性から逸脱するからこそ、そこに価値が生じるのではないか。

・筆跡に関する美学と、サインに関する美学は、一致するだろうか。微妙に異なるのではないか。
伝統的な絵画における、本人証明としてのサイン。あるいは個人を識別する指紋との違いはなにか。
映画における指標性(バザン)。そして、聖骸布や聖遺物。

・サインにとって「意図」は、どのような形で入り込んで来るだろうか。
あるアイドルが「真心を込めてサインしました」と言ったとする。この真心とは、意図のことだろうか。(それは単に、丁寧にサインをしたことの、婉曲的な表現ではないか。)

・凝った形のサインを考えることはできる。アイドルの労力は増えるだろうが、人気の度合いによっては適切であることもある。(労力価値説からすれば、凝ったサインの方がより高い評価がされる。)
サインをその形状によって分類することができる。(サインの分類・系譜を考えることもできる。)
また、アイドルが新しいサインを考えるときに、ほかのサインを参考にすることも考えられる。ある程度の型(かたちの慣習)が取り出され、それを微妙に逸脱するような形で、新たなサインが生み出される、というような過程を考えることもできる。
このとき、指標性という観点はブレる。仮に、長方形をサインとするアイドルが居たとする。確かにそのサインは、そのアイドルによって書かれたものだが、長方形というあまりにも普遍的な図形は、サインとしての良さが見いだせないのではないか。
このとき、サインの「個性・独自性」といった観点が現れてくる。

・サインの価値観には、次のような見方がある:
①指標性:因果関係に関する信憑性のある知識
②個性・独自性:型や一貫性に対する逸脱
③労力:サインにかけた労力の量(サインの量・デザインの複雑さ、など)

・その他の論点
*「贋のサインを買ってしまう人」の実践とはなにか。
*サインの周辺にあるジャンル:作品へのサイン、指紋、映画の指標性、聖遺物(聖骸布)、など。
*サインの意図は「まごころ」のようなものか

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