断章_2022_0312



・どこかでの呟きをまとめたものとコメント。

---

・村山本、まあ難しいのだが、数学やプログラミング的な難しさではないところに難しさを感じている
まずひとつ考え付いてるのは、フロイト理論などは可能性(頻度・確率)の低い理論ではないか、ということ

(*これは他の科学哲学を絡めた本でさんざん言われてると思うので、そっちでみっちり勉強するつもり。)

・説明のおよびつかない残余とは、すべての価値が逆転する大当たりかもしれないという可能性。これを潜性(力)と呼ぶこともあるだろう
統計的に言えば、外れ値であり、極値統計学の研究対象だろう。人文学はそういう部分がある

・フロイト理論やジェンダー理論と、ただの陰謀論の違いはなんだろうと考えている。説明力があるというだけでなく、ある種自分の経験と結び付き納得しやすい(か?)というところかもしれない
ただ、UFOを見たことがある人が超常現象に関する理論を受け入れやすい的な意味でしかない気もする

(*あまりに凡庸な立場(出自?)の私にとって、どちらも体感として理解するのは難しい理論に思える。こういう言い回しを「否認」と解釈されてしまえばそれまでだが。)

・しかし皮肉なことに、宝くじはほとんどの人に当たらない。世界を何度繰り返したとしても、ほとんどの場合メシアは訪れないだろう(ここでいうメシアは、アガンベンのメシア)

(*アガンベンの部分は超テキトーなので信じないように。アガンベン読み直しもいつかしよう。)

・ポーカーでも麻雀でもいいが、全ツッパが弱いのは、確率的に弱いからだ
「この物語をこう読んだのは僕だけかもしれない」。しかしそれに再現性はない。頻度が低すぎるから

(*文学は弱い。しかし弱いからこそ意味がある。『素晴らしき日々』懐かしい。)

・こういうの[村山本のような本]を読むと、自分にはやはり人文的な才能は無いのだな、と思う(と思い出すと、何にも才能がないことに気付き、鬱になるので思考をやめるが)。自分は全財産をFXにオールインする勇気はない

・僕が興味あるのは、やはり再現性があるもの(つまり凡庸[な]もの)なのだな、と再認識する。そのひとつとして思想史があり得る。また有用性も大事だ(今回のプーチンの思惑もロシア思想史と大いに関係があるように)

・政治的立場としても、悲しくなるくらいに凡庸な個人主義的リベラリスト、といった感でしかないだろう(村山本ではフォースターが引かれている)。それを受け入れていくしかない(……のだろうか?)

(*というか、保守的と言われても仕方がない位の頑固さすらあるだろう。)

・ただそれでも、誰にも理解されない、再現性が低い、有用性もない、クィアな(変態な)読み書きは、続けていっても良いのだろう

・存在しない(というか存在する確率がほとんどない)共同体へ投げかける、ということ。まあ、期待しすぎても根を詰めすぎても、心が先に折れちゃうので、ほどほどに

(*仮に僕の心が強かったら、上記のような問題は発生しないようにも思える。哲学的なものは僕を狂わせ、非生産的な病みに誘う。非生産性の最後に行き着くのは死であり、僕は死にたくはないので病まないようにもしている。なんという愚鈍で保守的な人物だろうか。あまりにも凡庸で嫌になってくる。
でも、仕方がない。運が悪く、心が弱く生まれてしまった(育ってしまった)のだから、引いてきたカードで戦うしか無いのだ(ポーカー脳)。)

・可能性の低い理論を濫用するのではなく、自分のクィアな感性だけで読み書きしていくことが、なにかへの抵抗であり、僕なりのバランスの取り方なのかもしれない

(*「だけ」は盛ってる気がするが、有用性や再現性に耽溺する部分と、クィアな部分でバランスを取りたい、ということである。この「バランス」もひどく嫌われそうな概念だが、自分は「均衡」と合わせて最近好きな概念だ。
あと、「可能性の低い理論」と切り捨てているようにも見えるが、もはや紋切り型と化して、別の再現性?を獲得してもいる部分は気になっている。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?