メモライズ:すべてを人格に帰す思考

・ある事件としての社会問題を、人格の問題に還そうとする思考は、自分の属している社会を守りたいという保守的動機に基づくのかもしれない。
もし社会に問題が存在すると認識してしまえば、その社会に帰属している自分の存在に揺らぎがもたらされてしまうだろう。社会の問題を認識せずに放置していることへの罪悪感すら抱くかもしれない。

・ある事件に対して、倫理的な原因を考えるよりも、人格という原因にしたほうが認知的負荷が小さそう、というのもある。要するに簡単だということ。日常言語でカタがつく。

・傷付かないで済むマニュアルとは、次のようなものである。
ある事件が発生したら、その原因をすべて人格に帰属させる。たとえば、生い立ち/性格/精神論・根性論/外面的なキャラクター、など。
帰属させる人格が自分と似たようなものであってはじめて、より大きな原因である社会や倫理について考える。しかしそれは、自分の所属している社会とはできるだけ離れた社会の問題として考える。

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