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ゴッホの世界を体感する『ゴッホ・アライブ』名古屋展 

昨年の12月に、名古屋市にある金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)へ、『ゴッホ・アライブ』を観に行ってきた。

新しいスタイルの展覧会『ゴッホ・アライブ』

ただ絵画を鑑賞するのとは違った、新しいスタイルでゴッホの世界を体感する”没入型展覧会”。というのを東京で開催された様子をテレビで見て、ずっと気になっていた。それが、地元にやってきたのである。
やったー-!

『ゴッホ・アライブ』は、展示された作品を静かに一つずつ鑑賞するような展覧会ではない。ホンモノのゴッホの絵画は一つも展示されていないのである。

私は行ってはじめてその事に気が付いて、「え、本物の絵を観ずに楽しめるのかな…」と、入場して早々にちょっと心配になってしまった。心配ついでに、美術館での一般的な展覧会よりもお高めなチケット代も頭をかすめる…。

でも、そんなことはすぐに吹き飛ぶこととなった。

映像で体感するゴッホの世界

入場してすぐ、ひまわり畑とかゴッホの部屋が再現されたエリアを通り抜けていく。ここはフォトスポットである。
あー映えそうだねー。とちょっと冷めた目で通り過ぎる私。その隣で写真撮りまくりの娘。私も写真は一応撮るけどさ。

そのあと、一番楽しみにしていた、テレビでも紹介されていたほぼ360度スクリーンに囲まれるエリアへ足を踏み入れた。足元にも映し出される、ゴッホの作品。

見渡すかぎりのスクリーンに囲まれて、ソファに寝そべるように座る。そしてスクリーンに映し出される映像を観た。
音楽とともに絵画を通してゴッホの生涯をたどっていく映像は、ドラマティックで、まるでドキュメンタリー映画。そしてスクリーンに次々とあらわれるゴッホの作品は、迫りくるようだった。

このエリアの前に、年代順にパネルでゴッホの生涯を解説したコーナーがあるのだが、そこで予習しておけば、さらにこの映像を楽しめるという工夫だったのかなと思う。
ゴッホがその頃にどんな状況だったかを知ることで、映しだされる作品は、より私の胸に迫ってきた。

でも、ゴッホのことを詳しく知らない娘13歳も、目の前のスクリーンでドラマティックに展開するゴッホの世界には、心動かされたようだ。
私は肖像画を含め人が描かれている作品が特に好きだったが、娘はゴッホが書いていて意外だと感じたひまわり以外の花の絵が好きになったらしい。
感じることは人それぞれである。

アートの楽しみ方は、一つではないのだなと感じた。
「新しいアート鑑賞の形」と公式HPに記されていた『ゴッホ・アライブ』は、ゴッホを知って作品を楽しむための一つの形として、とても刺激的だ。
絵画にはほぼ興味がない13歳も楽しめる。『ゴッホ・アライブ』という新しい試みは、美術館への間口を広げているように思った。

アート鑑賞のかたちは一つじゃない

それで思い出したのが、昨年に名古屋市美術館で開催された『ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』である。
こちらはゴッホの絵画が並ぶ一般的な展覧会だったのだが、本物の絵のパワーに圧倒されて心動かされっぱなしだった。でも同時に、美術館に絵を観に行くというのはまだ緊張もするし、ちょっと堅苦しいかなとも感じる。私はそれも含めて好きだけど。
実際、ゴッホの絵に興味を持ち始めた娘に、「ゴッホの本物の絵も一緒に見に行きたいね」と言ったら、「いや、そういうのは大丈夫」とお断りされてしまった。


『ゴッホ・アライブ』は、美術鑑賞というよりも、自由に写真が撮れたり、映像で体感できたりする、エンターテイメントなアートの世界だ。
もちろん原画を鑑賞するのは素晴らしい体験だが、アートを楽しむのに、本物を観なきゃという固定観念はいらないのではないかとも思う。

それに映像を通してだとしても、ゴッホの作品を一度にこんなにたくさん観られる機会って、なかなかないのではないか。そのあたりも、ゴッホの魅力をより知ることにつながってとても良かった。


それにしても、とにかくゴッホの絵はやっぱりすごくて胸に迫る。私はやっぱりゴッホが好きだ。
そうあらためて感じた『ゴッホ・アライブ』だった。


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