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本日の思春期#02

本日、中学校2年生の娘は「体調不良」で学校を欠席している。
体調は良好ではあるが、メンタルが、不調。
学校への欠席の報告はメールのようなものでするのだが、欠席理由の選択肢にまさか「メンタル不調」という項目はないので無難に「体調不良」にチェックを入れた。(「その他」という欄もあったが、何だか意味ありげではないかと思い回避)

クラスに、多くの子から避けられている子がいる。
その子を直接からかうとかではなく、例えば授業中に水筒を落としたとか、そんなことを話題に休み時間に何人かの集団でコソコソと笑うのだという。娘はそんな空気の中にいるのがどうにも耐えられず、できるだけその集団から離れたところで息をひそめるように過ごしている。だから、ものすごく疲れるのだという。

「その子もね、色々やらかすんだよね。そのたびにまたコソコソ言われることが想像できちゃって、憂鬱になるんだよ。もちろん陰で言う人たちが嫌なんだけど、やらかさないでって、その子に対しても思っちゃうよ」

私にも覚えがある。特定の誰かを、陰で笑いものにする空気。
いっそその中に入って、何の疑いもなく笑い合えたら楽なのかもしれない。空気に逆らえずに合わせざるを得ない子だっているだろう。

そして、笑う側、笑われる側のどちらにも属さず、人知れず心を痛めている、娘のような子もいる。そして、疲れて、学校へ行く元気を奪われる。

思春期真っ最中は、あまり親と話してくれないともよく聞くが、我が家では、娘はその日に学校であったことを堰を切ったように帰ってくるなり話してくれる。それは、心を開いて話せる存在が学校にはいないということなのかもしれないのだが、私だけだとしても、ため込まずに吐き出せる相手がいることは、メンタルの安定には不可欠だ。

でも、
「明日、学校を休もうかと思う」
と娘に言われると、そのたびにドキッとする。このまま、不登校になったらと考えてしまい不安になるのだ。小学校時代6年間ほぼ不登校だったこの私。どの口が言っているという感じだが、不安を飲み込んで「いいんじゃない」と即答するということだけは決めている。昔の私だったらきっと、そう言われるだけで救われた。学校に行きたくない気持ちは誰よりも理解できる。自分のことは棚に上げて不安になる未熟な親だが、辛ければいつだって逃げていいと思っている。

といっても私とは違い、娘が学校をメンタル不調を理由に休むのはあくまでも緊急手段で、数えるほどである。つい先日の個人懇談で、
「欠席日数が少ないのがすごくいいですね。受験のときにも好印象です」
と担任に言われたばかりで、それを聞いて受験に響きやしないかと親の方は休むことにビビっているのも正直なところ。ホントに、どの口がである。

娘は今日のように欠席した日を自ら「メンタルケアデイ」と名付けている。
しかも、大事なテスト、委員会、「癒し」と位置付ける部活のある日はなるべく避けて休む。つい最近、勇気をだして中学校のスクールカウンセラーの元へ話を聞いてもらいに行っていた。休んだり助けてもらいながら、自分で考えて、悩みや学校と向き合っている。近くで見ていて話を聞いて、ハラハラすることも多いし、私は心配ばかりしている。でも、弱いなりに、ときどき逃げることを自分に許しながら、14歳は必至で生きている。

家で思いのまま過ごし、メンタルは回復しただろうか。楽しみなこともある学校へ、きっと明日はありったけのエネルギーを使って行くのだろう。この頃、心理カウンセラーになることに興味を持ち始めた娘が、私には眩しい。
引き続き、刮目していきたい。

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