内省だと思っていたそれは、自傷だったのかもしれない。
人を悪く言うよりも,
自分の悪いところを探す。
内省と思っていたそれは,
自傷だったのかもしれない。
ーーー
もやもやしたことがあったら,
自分の解釈を変えようとする。
他者を変えることはできない。
変えられるのは自分の解釈だけ。
もやもやした理由が,
他者の心ない言葉だったとしても,
他者の悪意ある言動だとしても,
自分の解釈に原因があると考える。
これって,自分で自分に追い打ちをかけてないか?
どんな出来事も自分が悪いことにして,
悪くもない自分を責める。
自分ですら自分を守ってあげられなくて,
自分ですら自分の敵になっている。
他者は変えられない。
変えられるのは,自分の解釈だけ。
だからって,自分の気持ちまで変えなくていいんじゃないか?
職場には文句ばかりを言っている人がいる。
他責傾向のその人が口をひらけば,文句か悪口だ。
決して気持ちがいいものではない。
だから,私はその人が苦手だ。
一人や二人ではない,そういう人たちは,
私の前によくあらわれる。
そして,私は瘴気にあてられる。
私だって,嫌だ!
むかつくし,ふざけんなよって思う。
他責ばかりで自分の言動を顧みないあの人のせいでって思うことだって,ある。いい加減に成長しろよって思う。器が小さいなって思う。いいから黙ってろよ,どっか行けよって思う。
そういう気持ちを抑えて,そんなふうに考える自分がおかしいんだって,どうにかこうにか解釈を変えようとしてきた。それは,自分の気持ちを自分で否定することで,自分を労わってあげることすらできていない。それどころか,自分はおかしい,自分が違うって,自己否定ばかりだ。
内省と思っていたそれは,
自傷だったのかもしれない。
気が置けない人と食事をした。
その人は嫌いなことは嫌いと言う。もちろん本人には言わないけれど,嫌いだという自分の気持ちを否定しない人だ。その人と話すと,自分の気持ちに素直になれる。私は本当はそんなふうに思っていたんだと,自分の気持ちに気づいて,自分の気持ちを否定しないであげられる。
嫌な奴って思われたらどうしようだなんて,その人には思わない。
いつもどこかで後回しにされていた気持ちが救われた。
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